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2011年3月11日金曜日

余震続く東京で

 大阪から東京へ飛んだ。午後一時過ぎに羽田に着陸。目的地へは午後二時半頃についた。
部屋に入ったとたんに,大きな地震。しかも揺れが長い。今まで経験した事もない揺れ。初めて経験するこんな大規模な地震。東北地方太平洋沿岸でM8.8という日本での観測史上最大の地震発生だった。

 NHKは以降終日地震報道。仙台上空からの空撮ですごい映像をライブで流している。大津波警報が出された三陸海岸、仙台。みるみる凄まじい波が港を洗い、船という船を陸地へと押し上げたかと思うと、瞬く間に陸上の車が色とりどりの浮き輪のように流され始める。そのうち、家屋やありとあらゆる地上の構造物が波というか、まるで生きているアメーバのように、黒い波がうねりと言うか一体となって住宅街,きれいに耕された耕作地、ビニールハウス、道路、橋、学校をなめ尽くす。静かだ。何事も無いかのように静かに地表を舐めてゆく。その合間を,車が逃げ惑う有様が、ふと恐怖感を与えるて我に返る。諦めて道路上に放置されている車は瞬く間にそのアメーバに飲み込まれて行く。あの流されてゆく車に人は乗っているのだろうか。あの家に人はいるのだろうか。おそろしい.....

 これを書いている間にも、東京では余震が続く。震源地は三陸沖。東京での揺れは長周波地震動だという。長いかった。立っていられない。窓の外を見ると電柱が大きく揺れて,電線や電話線がむち打つように波打っている。向かいのビルの人々が机にしがみついているのが見える。外へ飛び出した人々はカタマッて立ち尽くしている。ふとお台場方面の空を見ると黒い煙が見える。テレビを見るとどうも火事が起きたようだ。不安に拍車をかける。先ほど大阪から着陸寸前に見た千葉の京葉工業地帯のガスタンクが爆発し炎上中だ。都内でも数十件の建物が倒壊しているという。

 今日は金曜日。夕方のラッシュが始まった。「帰宅難民」という言葉が脳裏をよぎる。JR各線は運転休止、私鉄,地下鉄も運転再開見込みなし。新幹線は東京/新大阪間が運転取りやめ。羽田空港,成田空港は閉鎖。バスも運休。案の定タクシー乗り場は長蛇の列。。東京,新宿、渋谷、品川の各駅前には行き場を失った人々がただただ群衆となって立ち尽くしている。それにしても私は不幸中の幸い。地震の一時間前に無事羽田に着陸した。タクシーにも乗れて目的地にすんなり着いた。もっとも,ここでスタック。自宅へ帰れなくなってるが。

 よる9時になった。テレビは、依然として帰れない人々が大勢、東京駅や新宿駅や新橋駅前広場で所在なげに佇んでいる有様を流している。JR東日本は本日中の運転再開はない、と発表。混雑を避けるためとして駅のシャッターを閉めて乗客を締め出してしまった。これが混乱に拍車をかけることとなった。駅を追い出された大勢の人が外にたむろしている。バス乗場やタクシー乗り場は来るあてもないバス、タクシーを待つ人で長蛇の列。群衆は仕方なく歩き始める。日比谷通りは動かない車の光の列とその間を歩き回る人の群れを映し出している。やがて、246や第一京浜などの多摩川を渡る橋という橋は徒歩で帰宅する群衆で黒山の人だかりだ。

 NHKは官房長官の談話を流し、帰れない人は無理に帰るな。道は歩道も含めて大渋滞。途中,情報もない、水もない,休む所もないので、二次被害に遭う恐れあり、と。以前から想定されていた通りの事態となった。想定していたが,何も手は打てないことも明らかになった。やがて学校や体育館が一夜を明かす場所を提供する動きが出て来た。


 それにしてもこういう時こそ,今はやりの文明の利器、携帯電話の出番、のはずが、全く繋がらない。メールもimodeも全くだめ。家族の安否確認が出来ない。たしかに、あの黒山の集団がみんな携帯電話持っていて,一斉にかけると繋がる訳はない。役に立たない。繋がるのは,公衆電話。そう、忘れ去られつつある、あの公衆電話。何処にあったっけ?カードなんか持ってないけど。これが繋がる。Mac Book Airからインターネットも結構繋がる。ポケットルータ経由だとネットに繋がる。こりゃあいい。TwitterやFacebookで情報が飛び交ってる。外にいてテレビ見れない人や,携帯繋がらない人はこれだ。NTT東日本、西日本のありがた味が分かる。伝言ダイアルサービスや,公衆電話無料も始めた。こういう時のNTTは信頼感がある。

 東北の被害状況が気になる。あんな津波にソウナメにされた集落は何人の人たちが無事避難出来たのだろう。津波の中で木の葉のようのもみくちゃにされながら流されていたライトのついた軽自動車には人が乗っていたのだろうか?怒濤のような津波の先端を車で全速で走ってた人は逃げ切れたのだろうか?流されていた家から火が出ていたけど住んでいるヒトは逃げたのか?まだ被害の全貌は明らかになっていない。しかし,徐々に痛ましい情報が入り始めている。

 幸い私の家族はいろんな奇跡と幸運が重なり無事だったが... 外出中だった母は、幸運にも見知らぬ親切な人と、たまたま居合わせたタクシーを拾い、相乗りで自宅まで数時間かけて送り届けてもらった。まさに地獄に仏だ。私は、歩いて帰れない距離でもなかったが、TVのニュースでの各地域での混乱状況を見て、ゆっくりと出先の会議室の一室を借りて、このブログを打ちながら夜明かしだ。明日はどうなる事か。