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2012年3月30日金曜日

ミモザの花咲く頃

桜の開花前のこの時期は、水仙やジンチョウゲ、ハクモクレンなどが咲き、本格的な春の到来を待ち遠しく感じる季節だ。これからは花が一斉に咲き誇るワクワクするような季節。そして、目に鮮やかな新緑の季節へとうつろって行く。東京にいては気付かない季節の移り変わりが、関西ではわかる。日本は四季があってなんと美しい国だろう、と今頃になって気付く。そんな歳になったのだろう。年齢を重ねないと気付かないものや、わからない価値、美があるものだと、なんだか年寄りくさい感慨に耽る。

 今年は,厳冬の影響で、梅が3月に入ってようやく満開になるなど春の訪れが遅い。寒さは去らずとも春の嵐だけはちゃんと来て、雨や強風の日が続き、うっとうしい毎日であったが、ここのところさすがに暖かくなって、晴れる日も増えて来た。カメラ磨いてヤマト國時空旅行への準備に余念がないが、ふと自分が身を置いている日常の中にも「美」を発見することがある。

 朝夕の通期途中、夙川の住宅街を歩いているとミモザがそのふわふわした黄色い花をイッパイにつけ始めている。いままであまり気付かなかったが、華やかで、いかにも春の到来を告げるような花樹木... ミモザ自体あまり実物を見た事が無くて、良く知らなかった。英国ケントの田舎に住んでいた時には、自宅の玄関先に、黄色い花房をイッパイつけるゴールデンレインという樹があった。英国風の鉛格子で縁取られた窓から見る黄色い華やかな花が、どんよりした灰色の空の永い永い英国の冬を終わらせてくれる春告げ花であった。最初はそれかと思ったが、花が細かい。まさにミモザサラダの卵黄のようだから、やはり違う。しかし、この辺りの佇まいによく似合う花だ。今年の春の到来を告げてくれている。

 いよいよ春本番だ。阪急電車沿いの土手の松並木は枯れてしまって、あまり多くは残っていないが、桜はまだ残っている。堅い蕾をイッパイ付けて、花開く時を待っている。夙川沿いの桜並木もいよいよ本番を迎える準備ができているようだ。初めての夙川での春。

 ミモザの花咲く頃... いやいやあれは「すみれの花咲く頃」だ。そういえば昨日は宝塚音楽学校の合格発表の日だった。入学、卒業...の季節。 清く,正しく、美しいタカラジェンヌの華やかな旅立ちの春だ。

阪急夙川駅から我が家へ帰る途中のお宅のミモザが素晴しい。


 ミモザはアカシアの一種だそうで、花房がつく「房アカシア」と、葉が銀色の「銀葉アカシア」という種類があるそうだが、これは後者のようだ。(撮影機材:Fijifilm X10)

2012年3月21日水曜日

奈良の「三名椿」を巡る

 今年はいつまでも寒くて、しかも週末ごとに雨や曇り空で春遠しという感じだ。3月20日の春分の日にようやく晴れとなり、勇躍、ゲットしたばかりのFujifilm X-Pro1とレンズ三本バッグに詰め込んで、梅田から大和路快速に飛び乗った。なかなか、この新機材が活躍出来る機会が無くてうずうずしていた。

 今日は奈良の「三名椿(ちん)」巡り。

 誰がどういう理由で選んだのかわからないが、伝香寺の「散り椿」、白毫寺の「五色椿」、東大寺開山堂の「糊こぼし椿」が、三名椿と言われている。

 1)まずは伝香寺の「散り椿」。奈良市内の中心、三条通からやや南に下った小川町、率川神社の隣に位置する。ここは筒井順慶一族の菩提寺であるそうで、創建は聖武天皇の時代。あまり観光ガイドに出て来ない小さな寺で、日頃は公開されていないが、椿の季節の休日に一般公開されている。現在の境内はそのほとんどが幼稚園の園庭になっているが、御本尊釈迦如来のおわします本堂前の椿の古木がその「散り椿」だ。

 この「散り椿」は別名「武士椿(もののふつばき)」とも呼ばれている。椿は散る時に。ボトリと花ごと落ちるが、この椿は、花びらがハラハラと散るので、武士のように潔い,という事で名付けられたそうである。なかなか見事な立ち姿の古木で、本堂、石仏背景に画になる椿である。ちょうど見頃を迎え、ピンクの花弁がバラの様でもあり美しい花姿だ。つぼみもイッパイついていたのでしばらく見頃が続くと思われる。

 早くも散り始めた花びらが石仏の辺りに舞い落ちる有様に思わずシャッターを押す。確かに椿の散華は紅い花びらに黄色い花心の花ごと転がっている様が普通だが、この「散り椿」は美しいピンク色の花びらが楚々と散っている。











 2)次は白毫寺の「五色椿」。三条通を西に向い、ならまちに折れ、さらに西、春日山に向ってひたすら歩を進める。緩い勾配の高畑町を抜けて、新薬師寺辺りまで来ると、大阪の民放主催のウォークラリーの一団に遭遇。すごい人の群れだ。幸いにも新薬師寺がゴールだったと見えて、さらに白毫寺まで歩く行列は無い。長大な列を横切って、一路白毫寺町の古い町並みを抜けて白毫寺へ向う。

 ここは、春は椿、さくら、秋は萩と紅葉、という花の寺として有名だ。何度か足を運んだ事があるが、坂を上り、萩と椿の石段を上り切ると、古い土塀越しに、奈良市内が一望できる。ふと一息入れて伸びやかな気分になる瞬間だ。

 ここの五色椿は、一本の木で、紅、白、桃、絞り、大絞りの五色のは花を咲き分ける珍しいもので、天然記念物にも指定される古木であるが、残念ながら、まだほとんど花は咲いていなかった。春分の日ではまだ早すぎたようだ。寺の人に伺うと、今年は寒さで開花が遅いこと、例年でもだいたい盛りは3月下旬から4月初めだそうだ。

 それでも五色椿以外の山椿は盛んに咲き誇っていて、そろそろ散華の舞を演じている木もあった。特に居並ぶ石仏に降りかかる紅椿の黄色い花弁が、彩りを添えてそこはかとない美しさを醸し出している。寺の方の配慮か、蹲や歌碑、古木のウロに落花を配して、そのはかなげな椿の散華を演出しているのが心地よい。わざとらしくないアレンジメントが、まるで生け花の心を持っているようで、「人の手の加わった自然美」もまた良しであると思う。














 3)最後は、東大寺開山堂の「糊こぼし椿」だ。白毫寺からは延々春日大社を横切って向う。つい先週までお水取りが行われていた二月堂の正面に立っているのが開山堂。この「糊こぼし椿」の名は、二月堂のお水取り儀式に使う造花の椿の赤に、間違って白い糊をこぼしたような模様が入っている事から来ているそうだ。

 ところで、東大寺の開祖は誰なのだろう。聖武帝のもと、東大寺造営を指揮した行基は、東大寺完成を見る前に世を去っている。もちろん鎌倉期に戦乱で荒廃した東大寺の再建、勧進を指揮した重源ではないだろう。良弁僧正だそうだ。知らなかった。故にこの椿は「良弁椿」とも呼ばれている。

 この開山堂は非公開なので中には入れない。門から覗いたり、隣の四月堂の縁石に登って塀越しに覗いたりで、ようやく堂横の椿の木が見えたが、花は咲いていないようだ。早すぎるのか、終わってしまったのか。手前に紅梅が盛りを迎えているのが見えるのみだ。

 寺の配慮で、四月堂の縁に、この赤地に白い斑の入った「糊こぼし椿」三輪が水盤に浮かべられて、目を楽しませてくれている。ちょうど開山堂を塀越しに覗ける位置に、この水盤がおかれているのが憎い。見たい人が多いのは当然だし、かといって聖域にみだりに観光客を入れたくない寺側の思いがそこに置かれている。

 以上が、駆け足で廻った「奈良三名椿」鑑賞の旅である。奈良は何度行っても新しい発見があるが、こうした花にまつわる散策もまた良しだ。







(撮影機材: Fujifilm X-Pro1, Fujinon 18mm, 35mm, 60mm)


2012年3月11日日曜日

あれから一年

一年前のあの日、ちょうど東京にいた。経験した事も無い様な揺れにたじろぎ、「帰宅困難者」の一人として会議室で一夜を過ごした。

今年もその日は東京だった。あれから一年。時間が止まったように,あまりにも何も進んでいない。この国の狼狽ぶりと、政治のリーダーシップの無さが顕著に見えてしまう。人々の絆や我慢強さや優しさが、世界の人々の賞賛を浴びているが、それも、何もしてくれない政治や,お上に、そろそろ憤懣のエネルギーが蓄積しつつある。特に原発事故対応は、終点どころか、明日の行動指針すら誰にも共有出来ていない。

凄惨な出来事も、一年経つと、「あの時の衝撃映像」として、テレビでも流れ始める。今や,ケータイやデジカメが普及し、誰もが静止画や動画を、いつでもどこでも撮れる時代。報道機関の眼でなく、その厄災のただ中にいた人々の動揺が如実に伝わってくる写真や動画はリアルだ。リアルすぎて残酷だ。だから今までテレビでも流さなかったのだろう。もうそろそろいいか、と流してみたら、やっぱり眼を覆いたくなる無惨さ...一年経ったからと言ってその衝撃はとても薄れる事は無い。そんな事分かってたはずだけど...

そんな今日,東京から大阪に戻った。羽田から伊丹に戻る飛行機は、最新鋭の787だった。ANAが自慢しているハイテク機だ。しかし、何とも狭くて窮屈な機内。シートピッチは、最近流行の各安航空会社の機内のような狭さ。私の「長い足」だと膝が前席に当たっている。立ち上がると、座席上の荷物棚のハッチに思いっきり頭をぶつけてしまった。機体が軽量で燃費が良くて、航続距離が長いので、こんな中型機でも米国東海岸や欧州のようなロングホールに使える,というので航空会社がもてはやしている。しかし、乗客から見ると、こんなに狭くて、これじゃ長距離路線なんかとても窮屈だろう。NY便なんか777でも狭い気がする。昔の747ダッシュ400のサロンのようなゆったりした機内が懐かしい。

生活が効率優先になると面白くなくなるなあ。などと考えながら、今年の3.11のある時間をこの狭い最新鋭機機内で過ごした。このハイテク最新鋭機にしろ、原発にしろ、インターネットにしろ、世の中進んでいるのか,退化しているのかよく分からない。このごろケータイ経由のインターネットがホント繋がりにくい。私が羽田で搭乗前にFacebookに投稿した3.11に寄せたメッセージは,伊丹に着陸した後もとうとうアップされてなかった。

ただ、窓から眺める富士山の気高さだけは、今も昔も変わらない。不変のものを探す旅に出たいという強い衝動に駆られた。