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2014年10月17日金曜日

友泉亭探訪 ー「城下町」福岡に大名文化は残っているか?ー 再掲第二弾

 今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」もいよいよ終盤。秀吉の「明国を我がものとする」という老人性パラノイア的破滅への道。それに異を唱える「軍師」としての官兵衛は、秀吉の野望を忠実に実行しようとする「官僚」石田三成との対立が抜き差しならない所へ来てしまった。豊臣家崩壊の足音が間近に聞こえる。豊臣恩顧の大名であるにもかかわらず、関ヶ原で徳川家康側につき、東軍勝利に導いた黒田長政の活躍。やがて、その恩賞として、筑前一国五十二万石という大藩を与えられる。官兵衛/長政の「福岡への道」の伏線がここに描かれる。

 ドラマチックでヒリヒリするような官兵衛の戦いと生き様が、そのクライマックスを迎えドラマは終章を迎える。しかし、その後の筑前福岡における黒田家はどのような道をたどったのだろう。そしてその城下町の運命は如何に? 

 以前、黒田家別邸「友泉亭」を探訪した時のブログを再掲。やや皮肉な視点で「城下町福岡」を振り返ってみたい。

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「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 友泉亭探訪 ー「城下町」福岡に大名文化は残っているか?ー: 福岡は言うまでもなく、というか、本当は関ヶ原以降に豊前中津から筑前国主として入府した黒田長政が開いた城下町だ。筑前藩52万石という外様の大藩の藩府だ。しかし、福岡が城下町であったというイメージが希薄なのは何故だろう?黒田官兵衛(如水)の忠臣、母里太兵衛がモデルとなっていると言わ...



友泉亭の黒田家紋所

建物は炭坑主であった貝島家によって建てられたもの

黒田家別邸であった時代の遺構はほとんど残されていない

池泉回遊式庭園も見事だ。しかしこれも貝島家の設計になるものだ。
現在の「友泉亭公園」入口
福岡城武具櫓を移設したと言われる黒田家浜の町別邸
福岡空襲で焼失し現存しない。