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2016年9月11日日曜日

本薬師寺のホテイアオイ 〜藤原京の夢の跡〜



 今年の夏も暑い!そして今年も本薬師寺跡にホテイアオイがいっぱい咲いた!

 本薬師寺跡のある橿原市城殿町は、かつての藤原京(新益京:あらましのみやこ)の西、西二坊大路、西三坊大路と七条大路、八条大路に囲まれた一角である。藤原京は690年に持統天皇により造営が開始され、694年に飛鳥浄御原宮から遷都。わが国初の唐風の条坊制を備えた都城であった。しかしわずか16年でさらに平城京へ遷都された。薬師寺は680年、天武天皇が皇后である讃良皇女(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して創建した寺院。金堂、講堂、を回廊で結び東西二塔を配した壮麗な伽藍がここには建ち並んでいた。その薬師寺は平城遷都に伴い現在の奈良市西の京町へ移転した。ただ藤原京の薬師寺はその後も平安時代中期、10世紀頃まで現在地に存続し本薬師寺と称されたが、やがて廃寺となった。

 ちなみに、平城京の薬師寺(現存する)は藤原京の薬師寺の大部分を移築したものなのか新造されたものなのかが、長年論争になっていたが、最近の研究では、移築ではなく新たに造営したものと考えられている。こうして本薬師寺は旧都の地に残ったのだが、今では木立に囲まれた土壇に金堂の礎石や東西二塔の心礎を残し、往時の面影をかすかに留めるのみとなった。しかし最近は遺構周辺の休耕地にホテイアオイやコスモス、ハスを植え、夏の間はホテイアオイの名所となっている。地元の小学校の生徒が毎年植えて手入れしているという。ホテイアオイはそもそも外来種で在来種を駆逐する生命力を持っているので(Blue Devilと呼ばれている)、国によっては持ち込みが規制されているそうだが、ここでは他の生態系に影響を与えないように管理され、このような壮大な景観を作り出している。

 倭国から日本へ移り変わる激動の時代。壮大な首都建設計画も廃都という皮肉な結末を迎えた。そういう滅びの歴史を背負い、古色漂う古代寺院の跡と、一面の外来種のホテイアオイの青という組みわせは一見似つかわしくないようにも思えるが、今では盛夏の青空と涼やかなホテイアオイの群生は、飛鳥の夏を代表する景観として定着している。

 「夏草やツワモノどもが夢の跡」じゃなくて「青花やツワモノどもが夢の跡」だ。


東塔跡

正面は金堂跡
左の土塁は西塔跡

金堂跡から東塔跡を望む

左が金堂跡
右は東塔跡

金堂跡
東からの景観

西に畝傍山を望む
すぐ近くまで住宅開発が迫る

元薬師寺の伽藍配置
(橿原市HPより)