ページビューの合計

2017年1月28日土曜日

「野村碧雲荘」探訪 〜京都南禅寺界隈別荘群を巡る(2)〜

 
東門
鹿ケ谷通りに面する表門


 幸運にもこのたび京都の「野村別邸碧雲荘」を見学する機会を得た。ここは野村証券や旧野村銀行/大和銀行の創業者である野村徳七翁(得庵)が私財を投じて作り上げた南禅寺界隈きっての数寄屋建築、庭園を配した別荘である。現在でも人手に渡らず創業家/その関連事業体が所有、維持する稀有な邸宅である。時代の変遷に伴い所有者が転々と変わる別荘が多いなか、ある意味珍しくなっている。さすが野村グループである。所有者が変わらないのはこのほか、住友家の「友芳園」くらいだ。6000坪に及ぶ広大な野村別邸は、大正4〜5年頃から建設、造庭が始まり昭和3年に完成した。建物は数寄屋大工第一人者の北村捨次郎、作庭は第7代小川治兵衛(植治)。ちなみに公開されている旧山県有朋別邸「無鄰菴」を含め南禅寺界隈の邸宅群の多くの庭園は七代目植治が手がけている。平成18年には文化財指定された。

 事業も趣味(能楽、茶道)も超一流。現在の野村グループへと続く事業を成功させた創業者であるというだけでなく、趣味人としても完成の粋に達している。こうした数寄者の極みを後世への遺産として残した野村翁だ。この境地に立てる人物は少ない。ただ金持ちだから出来る道楽、ということでなく、そこまでなんでも極めるというコミットメント。文化の保護と継続に対する高い目線と感性と情熱。そういう人生を全うするとは実に羨ましい限りだ。富豪だからと言って、人品骨柄卑しからずとはいかない例を最近見せつけられることが多いだけに。

 当日の京都は雪模様で、寒い一日であった。西門から入り、待月軒に通される。茶会で用いられるという不老門をいったん出て再び邸内に入り、庭園、茶室や書院を見学の後、東門から出るというコースで案内していただいた。東門がこの邸宅の表門である。

 まずは待月軒からの池庭の全景に思わず息を飲む。東山連峰の南禅寺山、永観堂の多宝塔を借景とし、常緑の赤松と芝生が池端を彩る。左手には大きな桜の木が、右手には舟型の茶室が見える。池には白鳥が泳ぎ、一艘の舟が浮かぶ。七代目小川治兵衛の手になる名園だ。折も折、小雪がサラサラと園池に舞い、東山の山肌に白い雪が霜降り模様を生み出す。待月軒の障子窓に縁取られた庭園の全景が、まるで一幅の絵のようであった。池端に佇めば白鳥がフレンドリーに寄ってくる。がこれはフレンドリーだからではなく、縄張りを主張しているからだとか。

 邸内を案内されて進むと、舟型の茶室盧葉庵と観月台を兼ねる舟舎羅月がある。現存する舟型茶室としては日本に3つしかないという。数寄者の極みであろう。その脇には立方体の巨石がしつらえてある。大阪の勝尾寺から運んできた銘石だという。大きすぎて幾つかに分割して運んだらしく、よく見ると表面に切れ目がある。そこまでして運ばせる。ここにも数寄者ぶりが遺憾なく発揮されている。

 ところで池には水が満々と満ちているが、流れるべきところに水が流れていない。滝も落水がない。本来は水の流れの中に据えられているべき蹲が、立ち位置を失って所在無げである。聞けば、ここ数日琵琶湖疏水の水路の清掃中で、水が来ないのだそうだ。いわば断水中。図らずも南禅寺別荘群の植治作庭の池泉回遊式庭園は、琵琶湖疏水があるからこそできた名園であることを知ることとなる。

 茶室は、先ほどの池に浮かぶ舟型茶室盧葉庵のほかに、藪内流の花へん亭、それに続く又織庵(織部様三畳)と南光庵(利休様二畳)がある。その前には飛鳥から移築したという酒船石を配した露地庭園がある。招客、目的によって茶室を選んだと言われている。野村翁は比較的晩年になって茶道に目覚めたようだが、極め人はここまで拘って茶室を営んだ。茶号を得庵と号す。

 中書院の前庭には大きな藤棚がしつらえられている。この藤は上むきに花がつく珍しいもの。この二階は野村翁の書斎であったそうで、二階の窓から上に伸びるこの藤の花を愛でたという。また上むきに伸びる藤の花は事業の隆盛を象徴する縁起の良いものとして珍重されたそうだ。ここから見える池の真ん中には丸い丘がある。冬のこの時期は何もないが、夏にはここに半夏生の白い葉が生い茂り、まるで池面に映る満月のように見えるとか。なんと粋だこと。

 大書院は数寄屋建築というよりは寝殿造りに近い荘厳な建物となっている。大玄関を入ると応接間があり、その隣に能舞台がしつらえられている。野村翁の能装束の木造が置かれている。その奥が大書院となっており、昭和3年の昭和天皇即位の御大典にさいし、列席の久邇宮殿下/妃殿下が滞在された。大広間にかかる扁額「碧雲荘」は久邇宮殿下の御真筆。この翌年殿下は逝去され、これが絶筆となった。

 大玄関の正面に東門がある。ここがこの別邸の正門であるが、威圧的な構えではなくいかにも数寄屋風別邸を楽しむための入り口といった趣である。こうして西門からスタートしたひと時の別世界ツアーはエピローグを迎え、ここで野村碧雲荘を辞すこととした。非日常世界を堪能させていただいた後、此の東門をくぐると、いつもの観光客で賑わう鹿ケ谷通りに出た。夢の世界を徘徊したのち、いきなり現実世界へ立ち戻った浦島太郎の気分である。

 邸内は非公開である。定期的な公開の予定もないという。生前のスティーブ・ジョブズが是非見学したいと申し出てもなかなか実現しなかったというエピソードが語り継がれている。邸内見学ができたということはそれだけでとても幸運なことだ。当然フォトグラファーにとっては写真撮影を試みたい貴重な機会である。写欲を激しく刺激してくれるしつらえ。えも言われぬ超絶景観。どれを取っても写欲煩悩を抑えきれない。しかし基本的には撮影禁止。ただ一切の出版物やSNS,ブログなどに公開しないことを条件に、ようやく数枚の記念写真撮影が許可された。したがって残念ながらここに邸内の写真を公開することはできない。もっともこうした私的な空間である邸宅、庭園をやたらに他人が勝手に撮影して公開するのは差し控えるべきであろう。また下手な素人写真でその深遠なる静寂と華やぎ、あるいは遊び心を切り取った気になって、ネット上に流布させることが、そのイメージを傷つけることにもなりかねない。やはりできれば、実際にその場に身を置き、その空気を嗅ぎ、自分の目で見、耳で風を聞き、肌で佇まいを感じるのが良い。そういうパーソナルな経験にとどめておいたほうが良い。中々その機会を得るのが困難であるが、それだけにその機会を得たときの喜びもひとしおである。今回は「雪の碧雲荘」を深く心に刻んでおこう。



西門
この右手に「不老門」がある


西側の景観
この左隣は「清流亭」




参考:南禅寺界隈別荘群とは

旧山県有朋別邸「無鄰菴」以外は非公開。
明治初期の廃仏毀釈にともない廃止された南禅寺塔頭跡を利用
ほとんどの庭園は第七代小川治兵衛(植治)の作
東山の借景
琵琶湖疏水を利用した池泉式庭園。
数寄屋作り建物

といった共通点がある。

 明治・大正・昭和初期の政財界の大物による別邸構築。山縣有朋がその嚆矢であったという。しかしこれらの豪華かつ伝統的な建物や庭園を今に伝える努力も並みや大抵ではない。次々とオーナーが変わるのは、その維持にかかる費用と労力が生半可ではないからだ。なかなかこうした文化財を所有し維持できるだけの財力を有する資産家が少なくなっているのが現状だ。その対策として創業家の資産から切り離して、法人たる会社で所有し迎賓館として利用したり、公益財団法人に資産を移管するケースが多い。また料理旅館や結婚式場などへ転換する例もある。

 明治以降、かつてはこうした文化や芸術は華族や政財界の大物である資産家などがパトロンとなって育成保護、継承を行なってきた。しかし、最近は突出した素封家がいなくなり、個人としてコミットできるケースは少なくなっている。ある別邸の現在のオーナーは、次々と転売され所有者が変わる現状について、「私もその一人であるが、この時期にバトンタッチした者として、この国民の文化財を大事に引き継がせていただきます」と述べている。そういう覚悟と使命を心に刻める資産家が最近は少なくなってしまったようだ。数少ない現代の個人資産家も、もう少し文化のパトロンの視点から社会に富の還元をしてほしいものだ。文化財の保護と継承はその時代の富裕層の義務である。アメリカのつまらん会社を高額買収などするのでは無く。おおっと、野村証券のコーポレートバンキング部門の商売を邪魔しちゃいけない。



 代表的な南禅寺界隈の別邸(順不同):

野村碧雲荘(野村別邸)
有芳園(住友別邸)
對龍山荘(ニトリホールディングス所有)
怡園(旧細川家別邸)
智水庵(旧横山家別邸)
清流亭(旧西園寺公別邸)
流響院(真如苑所有)
真々庵(パナソニック所有/旧松下幸之助別邸)
無鄰庵(旧山県有朋別邸)
何有荘(ラリー・エリソン所有)

桜鶴苑(株式会社目黒雅叙園桜鶴苑 結婚式場)
八千代(料理旅館)
菊水(料理旅館)
順正書院(湯豆腐順正)


 2015年1月に訪問した「無鄰菴」に関するブログをご参考まで:
「無鄰菴」庭園散策 〜南禅寺界隈別荘群を巡る(1)〜
こちらは一般公開されている。


 以下の写真で、南禅寺界隈別荘群エリア散策の雰囲気を感じていただければ幸甚。

この界隈の邸宅はどこもこのような長大な壁に囲まれている

怡園
旧細川家別邸

清流亭
旧西園寺公別邸
左手が野村碧雲荘

右の生垣内は真々庵
松下幸之助別邸

琵琶湖疏水

八千代

對流山荘

對流山荘外観

菊水
對流山荘の向かいにある

順正
南禅寺順正書院跡

何有荘

無鄰菴庭園

(撮影機材:LeicaQ Summilux 28mm 1.7f ASPH)



南禅寺界隈別荘群配置図
京阪電車HPより借用