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2017年2月23日木曜日

「谷根千」谷中散策 〜寺と坂のある町〜

 谷中という地名は、上野台地と本郷台地の谷間に位置していることに由来しているという。江戸時代以前から尾根筋には町が形成されていたが、江戸時代になるとこの町人町に寺院が集められ寺町が形成されていった。その結果、辺りは門前町として繁栄する。高低差のある地形に網の目のように路地が走っていて独特の景観を呈している。幕末から明治の激動期にはすぐ東隣の上野のお山、寛永寺が戊辰戦争の激戦地となったが、谷中は戦火を免れた。また第二次大戦の空襲でもこの町は焼け残ったため、古い江戸の下町の佇まいを今に残している。とはいえ京都市内や大阪上町台地のような町家街としての景観は、東京の急速な近代都市としての発展の陰でかなり消滅していまっていて、今はむしろ東京の「昭和」な住宅街、商店街のそれになっている。これはこれでとてもノスタルジックで散策が楽しい。また、最近この辺りは谷中、根津、千駄木を含め「谷根千(やねせん)」と呼ばれ、江戸情緒あふれるエリアとして人気がある。

 JR日暮里駅から御殿坂を西へ進み「夕焼けだんだん」を下ると「谷中ぎんざ商店街」。東京の下町にはまだこのような商店街が残っている。品川区の「戸越銀座商店街」や「中延アーケード商店街」も人気だが、ここは江戸の下町情緒を残していて、外国人観光客が多いのが特色。戦後の高度経済成長期に大型スーパーや大資本のショッピングセンター、量販店ができて、住宅街に隣接するこうした昔ながらの商店街、アーケード街が、どこも寂れて「シャッター通り」になってしまった。やがてバブル崩壊。失われた10年、さらに20年が過ぎた。最近はむしろネット通販などのバーチャルショッピングモールが、大手のスーパーや量販店を脅かし始めている。デフレも進み大手商業施設の統廃合が進み地元から撤退してゆく。皮肉な巡り合わせだ。こうして再び古い地元商店街が見直されてきている。全国チェーン店ではなくて、個人商店やローカルビジネスがその個性的で地元志向のサービスを復活させつつある。ネットのバーチャルワールドに疲れた人々は町へ出てリアルの商店の惣菜の匂いや、売り子の威勢の良い掛け声、頑固オヤジやオバちゃんとの接点を求め始める。町の輪廻転生を感じる。

 谷中といえば墓地を思い浮かべるだろう。東京都内でも青山墓地などと並び古くて有名な墓地である。谷中墓地はかつては天王寺の境内であった。今でも五重塔跡が墓地内にある。隣は上野の寛永寺。言わずと知れた徳川家の大寺院。どちらも明治期の廃仏毀釈や徳川幕府崩壊の影響を受け、寺域が大きく縮減された。明治政府は神式の墓地を確保する必要もこれ有り、天王寺の墓地を一部没収し、旧東京市にこの谷中に墓地を設けさせた。今でも谷中墓地と、天王寺墓地と寛永寺墓地は隣接していて、というか(境界がなく)寄り集まって一帯が墓園を形成していると言って良い。ちなみに徳川慶喜公の墓所は、谷中墓地エリアでは無く、寛永寺墓苑エリアの属すそうだ。なぜ最後の将軍が江戸東京市民の谷中墓地にあるのか不思議だったが謎が解けた。谷中墓地は、渋沢栄一、幸田露伴、長谷川一夫など各界の有名人の墓があちこちに見られる。ある意味で江戸、東京の歴史を物語る地域となっている。

鍵屋のお仙 


  谷中墓地には桜並木がある。東京の桜の名所の一つであるが、かつては天王寺の表参道であり、江戸時代にも花見の名所として賑わっていた。その入り口には花見客相手のお茶屋が軒を連ねていたという。現在も数軒残されている。また、天王寺近くの笠森稲荷門前に鍵屋という水茶屋があったと言われている(現在、場所が特定できないそうだが)。ここには江戸期の明和三美人の一人と言われた、水茶屋鍵屋のお仙という評判の看板娘がいたそうだ。このお仙目当ての客も多かったそうで、彼女を描いた鈴木春信の浮世絵がすごい人気だった。春信はこの絵がヒットして浮世絵師メジャーデビューを果たしたとも言われている。今でいうアイドルのブロマイド(この単語自体がもう死語であるが)ような存在だったのだろう。


 先述のように、谷中は寺町である。歩いてみると日蓮宗の寺院が多いように思う。歴史を遡れば、先述のように現在の谷中墓地は天王寺の寺域であった。その前身は13世紀の日蓮の弟子日源によって創建された感応寺であったという。江戸時代になると、感応寺は三代将軍家光や英勝院、春日局の厚い庇護を得て繁栄を誇ったが、のちに日蓮宗不受不施派の寺となり幕府に邪教として睨まれて宗門閉鎖に追い込まれた。その後再興の動きもあったが、結局は天台宗に改宗して天王寺として再建され現在に至る。江戸時代初期はこのあたり一帯の寺院は日蓮宗感応寺の末寺が多かったのであろう。現在は日蓮宗のほか。天台宗や曹洞宗などの宗派寺院が混在している。

感応寺境内図

 この辺りは高台でかつては眺めも良く、行楽に訪れる江戸庶民も多かったという。江戸時代には風流人を当て込んだと見られる凝った庭園を有する寺が多かった。それに四季折々の景観を楽しめることから、根岸あたりは富裕な商人や文人墨客の別邸も立ち並ぶなど、風流人憧れの土地であったようだ。地名の日暮里(にっぽり)も、もとは新堀村(にっぽりむら)であったのだが、粋人達が「日暮らしの里」という当て字にしたのが始まりと言われている。富士見坂からは、文字通り富士山の眺望が楽しめた。今は周りに高い建物が立ち並んで眺望がきかなくなってしまったが、「寺と坂のある町」谷中、日暮里は粋な町だったのだ。

 ちなみに今回の谷中散策ブラパチカメラはLeicaQ Summilux 28mm ASPH。M Type240+Summilux 35mm ASPHも持って行ったが、結局ほとんどすべてをQでまかなった。こうしたストリートフォトには最適のカメラだ。広角マクロまで付いているので落花のクローズアップもお手のもの。


夕焼けだんだん
尾根筋から谷筋へ
御殿坂から谷中ぎんざ商店街へ続く



谷中ぎんざ商店街



猫が見守るお惣菜屋さん


何屋さん?
「錻力」を読めれば...


昭和の香り漂う
「初音小路」 


三崎坂あたりの家並み

朝倉彫塑館


落花の舞
谷中コミュニティーセンタ辺り

椿
お寺の境内から塀越しに伸びてくる古木


寺町らしく寺院が立ち並ぶ
日蓮宗の寺が多い
竹垣

観音寺の築地塀


元質屋の建物を活用したアートスペース「すぺーす小倉や」


こちらは元銭湯を活用した「スカイ・ザ・バスハウス」
あちこちに路地が



風雅と洒脱!?
これも街角アート!?



ヒマラヤ杉
分かれの一本杉
切り倒す話が出ていて保存運動が起きている。

旧吉田屋本店
酒屋さんだった

古い看板

人気の古民家カフェ


谷中霊園入り口
江戸時代には谷中の桜見物の客相手の茶屋が並んでいた。
現在も名残の数軒が残っている。

天王寺五重塔跡
昭和になって焼失した
幸田露伴の小説「五重塔」はその事件を描いた
徳川慶喜公墓所
ここは谷中墓地では無く寛永寺墓地だそうだ

名物「谷中七福神そば」で一服

(撮影機材:Leica Q Summilux 28mm 1.7f ASPH)



台東区HPより





2017年2月20日月曜日

ストリートフォトグラフィーに最適なカメラは? 〜ライカMとQ。ちょっと気難しい優等生との付き合い方〜

 私はストリートフォトが苦手だ。基本的に都会の人混みが嫌いなのと、その人々のうごめきにあまり興味がない。人間に興味がないわけではないが、個性や人格を押し殺し、マッシブな群衆となって空間移動する人々にはカメラを向けるインセンティブがわかない。もちろん、他人と関わりたくない、無表情、没個性の都会人(特に電車の中でスマホばかりいじってる人)といった切り口で表現するストリートフォトグラファーもいるが、自分の好む被写体ではない。第一、勝手に他人を撮ることはトラブルの元になる。肖像権がどうの、マナーがどうの、迷惑行為がどうのとメンドくさい。そうまでして被写体として切り取る気持ちが湧いてこない。要するに都会の人の多さ、冷淡で個人主義的な人間関係にウンザリしているので、街へ出て(ルールやマナーに縛られながら)それをわざわざ写真に収めようという気がしないだけなのだ。人生を皮肉って見せる事もできるかもしれないが、どう見ても楽しいワクワクする写真にはならない。これは同じ人間を被写体とするにしても、一人の人間としてのポートレートを撮らせてもらうのとは異なる。相手とのコミュニケーションが成立している場合とそうでない場合とでは感情移入の仕方が違う。また家族や友達と気兼ねなく記念写真やスナップを撮るのとは全く異なるシチュエーションなのだ。

 それよりは、美しい自然、里山、田園風景、都会なら街角や建築物の造形美、古代の心象風景、歴史の情景などに強く心惹かれる。これまではそうした「風景写真」「情景写真」を追いかけてきた。したがって私の写真には人が写っていない。まるで風景写真に写りこむ電信柱や電線のような人工物を避けようとするのと同じ捉え方してる。ようするに「人」が写らないように構図する。写っていてもそれは景観の一部として必要があると考えた時だけである。しかし、関西にいた時はともかく、残念ながら東京に居を移してからというもの、なかなかそうした写真を撮る機会が減り、日々の生活では、人にあふれた都会の雑踏に身を置くことばかり。したがってだんだんカメラの出番が減りフラストレーションが溜まる一方だ。せいぜい街角の花を撮ったりするくらいになってしまった。

 一方、私が持っているカメラ機材の中には、風景写真に適した一眼レフやミラーレスシステムカメラばかりではなく、ストリートフォトに適したものがある。この場合、大型で物々しい「いかにもカメラ」ではなくステルス型の目立たない機材が良い。かといってスマホカメラやコンデジでは満足できない。適度にカメラとしての実在感があって、手応えを感じながら撮影でき、しかも相手には目立たない。そんな機種が必要となる。ライカMやQはその代表格だ(ライカの赤バッチは目立つのでマスキングテープ貼る人もいるが)。

 じゃあ、せっかく持ってるならもっと使ってみたらどうだ、となる。宝の持ち腐れとはこのことだ。そもそもライカMはこうしたストリートフォトに最適のカメラだと言われる。人物を撮るには良いとも言われる。被写体と撮り手の距離を縮めるカメラだという。私はライカMを風景写真や、花のクローズアップ写真に使おうとするので、望遠もないし、クローズアップで寄れないし、ライカは使いにくいカメラだと不平を言い募ってきたのである。そもそも違う所に違う道具を持ってくるという愚を犯しているわけだから笑ってしまう。そうだ!せっかく人混みの東京に住んでいるのだし、ライカMやQを持っているのだし、条件は揃った(意図的に揃えたつもりは全くないのだが)。ストリートフォトに挑戦してみようと考えるようになった。


 機材としてのLeica M Type240とLeica Q:

 まずは定番、M Type240ボディーにはSmmilux 35mm F.1.4 ASPHの組み合わせ。ゴールデンコンビだ。ただしマニュアルフォーカス。手振れ補正機能なし。ライブビュー機能も搭載されているが、いまいちレスポンスが遅く、外付けEVFは邪魔なので、基本はレンジファインダーでの撮影となる。レンズはどれも最短撮影距離が70cmという老眼。レンズ交換はできるが路上という撮影現場で、ごそごそレンズ交換するのはあまりスマートではない。

 Leica QはSummilux 28mm f.1.7 ASPH固定レンズ。AF機能付き、ボディー内手ぶれ補正機能付き。今風のデジカメの機能がほとんど全て実現されている。もちろんライブビュー撮影できるし、優秀なEVFが内蔵されているのでこちらを使う手もある。それにマクロ機能があるので寄れる!35mmが標準レンズだと思っている伝統的ライカ使いは、28mmという焦点距離に違和感があるようだが、私はこちらの方がいい。24mmでも良いくらいだが。

 35mmと28mmという広角単焦点レンズの二台をぶら下げて、東京国際フォーラムの大江戸骨董市に出かけた。大盛況で混雑ぶりは申し分なしだ。集まっている人たちは、売る人も買う人も皆お宝に全精神を集中しているのだから被写体としては面白いし、第一カメラなんて目に入ってない。まずは手始めにイベント会場での人間観察と撮影に挑んでみよう。

ライカファミリーの優等生たち。左はLeica Q Summilux 28/1.7 右が Leica M Type240+Summilux 35/1.4


 いわゆるキャンデットフォトを試みるのにライカは最適なカメラだとよく言われる。もちろんきちんとファインダー覗きながらアンリ.カルチェ.ブレッソンよろしく、街を流れるように移動して撮るという神業もあるが、私のような素人はファインダーをいちいち覗きながら構図をきちっと決めて撮影するのでは無く、デジカメ時代なので液晶画面見ながらで撮る方が楽だ。すなわちライブビュー撮影が便利だ。お宝選びに熱中している人、売り手と会話している人、観に来る人もなく暇そうにしている骨董屋さんもいる。立ち止まってファインダーで覗いてピント合わせしながら撮るよりは、ライブビューで瞬時に切り取ってさっと移動する。この点ではライカQが理想的なカメラだ。フィルム時代にもノーファインダーというテクニックがあったが、デジタルになってより便利になった。ライカM Type240でもライブビューは使えるが、少々シャッターレスポンスが遅いのと読み込み時間が長くてイラつく。やはり基本的にはレンジファインダーを覗くことが求められる。あとはピント合わせ。ライカMの場合手動ピント合わせだから、絞って被写界深度を稼ぐ方法もある。広角レンズでパンフォーカスを狙う方法もある。しかし最近のデジタルカメラはみなAF精度が良くなり、合焦速度も速くなったので、ライカQが有利。マニュアルフォーカスは、じっくり構えて撮る時は良いが、ライカマエストロの域に達していない私のような人間にはやはり不利。こうして未熟で楽をしたがる使い手は、どんどん怠惰になる。本当は基本に立ち返ってもっと練習して技を磨く必要があるのだろう。ライカ使いのプロは、むしろマニュアルフォーカスの方がAFより速い!というからこれは名人芸の域だ。

 ライカQは良いカメラだ。改めてその速写性と画質の良さと操作性に感心する。しかもシャッター音が小さいのであたりの空気を壊さない。いちいちファインダーを覗かなくてもライブビューでだいたいの構図を確認してシャッター押せばAFでピント合わせしてくれる。もちろん絞り開放でボケを生かすこともできる。マクロ撮影もできるのだから、もうこれ一台あればほとんどのストリートフォトがカバーできる。M の方はファインダーを覗きながらすっと近ずいて、さっと引く。あの身のこなし、フットワークを身につける必要がある。それにしてもMでもQでも、その生み出す画のクオリティーが非常に高いのに驚かされる。2400万画素フルサイズCMOSセンサーの威力だ。画素数だけ比べれば日本製のライバルのそれはさらに高画素を誇るが、秀逸なレンズ群とのマッチングが、ポストプロダクションに耐えうる豊富な情報量を画像ファイルに蓄えてくれる。とくにRAW/DNG撮影がオススメ。Lightroomでクロップによるリフレーミングをすると画素数が減少するのであまりやりたくないが、画質が劣化しないのが不思議。またシャドウ部もハイライト部も、つぶれたり飛んだりしない。画像情報がしっかり記録されているので、調整できちんとイメージ通りに再現可能だ。むしろポストプロダクションを積極的に利用するのもライカ使いの特権だろう。

 私のようなストリートフォト素人には、やはりQの方が使いやすい。結局この日はほとんどの写真をQで切り取った。ほぼあらゆるシチュエーションをカバーしてくれるし扱いやすい。フレンドリーな優等生だ。その一方、やはりMは気難しい優等生だ。誰にとっても付き合いやすくて思い通りの結果を保証してくれるわけではない。使い手を選ぶ。いや使い手が成長することを期待する。まるで私のロンドン時代の恩師のようなカメラだ。You must be ambitious!と叱られる。弟子が並みのことしか求めてないと分かると手厳しかった。Mはそういうカメラだ。まだまだ修行が必要だ。

 以下に作例を掲出する。やはり広角レンズを使う時は「もう一歩前へ!」が鉄則だと反省する。特に28mmはそうだ。これだけ人が集まる場所で「遠目」写真ばかりだと、何を狙ったのかが曖昧になるということに気づかされた。くだくだと能書き書く割にはこの程度かと、ご寛恕願いたく候。

 追記:気がついた事ども。

 Qを絞りオート(A)で撮ると、絞り値は1.7開放側が選択されるようプログラムされることが多い。28mmとはいえ高速レンズなのでアウトフォーカス部分が目立ってはいけない時に目立つ。やはり絞り優先で撮ったほうがよさそうだ。安易にAEに頼るのではなく特にパンフォーカス狙う時は絞って撮ろう。

 M Type240はやはりピント合わせが課題。以下の写真もよく見るとピンボケが目立つ。フィルム時代の被写界深度利用の「絞って撮るテクニック」を思い出す必要がある。しかし、絞ると、今度は手ぶれに気をつけるべし。要するにかつて当たり前だった写真撮影の基本を思い出せと。要修練。

 ステルス性という点では、Qのほうが目立たない。Mはかえって目立つ。モノにうるさい人間が集まる骨董市では、「いいカメラぶらさげてるねえ〜」なんて、違いのわかる男が結構いる。それで会話が盛り上がるのも悪くはないのだが、撮影バレバレではステルス効果ゼロ! Qのほうは見栄えのしない地味ないでたちであるせいか持ってても話題にもならない。ちょっと大きめのコンデジかな?くらいに思ってる人が多いようだった。注目されないという点では、Qはやはり究極のストリートフォトカメラかもしれない。

M Type240 + Summilux 35/1.4

M Type240 + Summilux 35/1.4

M Type240 + Summilux 35/1.4

M Type240 + 35/1.4

M Type240 + Summilux 35/1.4

M Type240 + Summilux 35/1.4


Leica Q Summilux 28/1.7


Leica Q Summilux 28/1.7


Leica Q Summilux 28/1.7


Leica Q Summilux 28/1.7

Leica Q Summilux 28/1.7





2017年2月6日月曜日

Leica M10デビュー 〜ライカMはいつまでもライカMだ〜

M10
Black Chrome Body
M Type240に比べ薄くなり伝統のMボディーサイズに戻った。
しかし、その中身、すなわち心臓と脳が大幅に力をつけた。

M10
Silver Chrome Body
このテイストを出すためには上下カバーを真鍮にしなけらばならない。



 今年の1月18日ドイツで発表されたライカのMシリーズの最新モデル、M10がついに日本でも1月28日に発売開始となった。昨年のフォトキナで新型Mの発表がないな、と思っていたら、年明けに急にリリースのアナウンスがあった。これは2012年10月のフォトキナで発表され翌年3月に発売となったM Type240から4年目の新型Mライカだ。例によって入荷した実機は極めて少数で、ライカショップや公認ディーラーで手に入れた人は限られていたようだ。なぜライカはいつもこうなのか? M Type240の時は、次の入荷が半年後だった。ライカショップ銀座に問い合わせると「今度は3ヶ月後くらいには入荷するから、それほどお待たせすることはありませんと」。それだけ待たせれば十分だろう。これもライカ商法なのか。私の商売の経験上、市場投入のタイミングと投入量は極めて重要だということ疑ったことはないのだが。注文生産ならともかく、「コモディティー化した商材」と「高付加価値商材」では出荷ロジックが違うのか? 同社の会社業績は比較的好調なのだから間違った戦略ではないのかもしれないが。M10発表時のインタビューでライカの新CEOは、これまでのライカ社のマーケティング、営業の姿勢を変え、「発売時の製品の完成度と市場投入量を改善する」と言っていたのをただ思い出しただけだ。

 今回は製品名はLeica M10となった。M9の後継機という位置付けのようだ。M Type240の後継機種ではないようだ。M Type240は併売するという。じゃあM Type240のMシリーズでの位置付けはなんなのか? 動画撮影機能がついたMシリーズの派生製品だとでもいうのだろうか? ライカ社の説明だと、MシリーズはType240以降はTypeナンバーで系列化する、といったん決めたのだが、やはり元のMナンバーに戻すことにしたのだとか。その理由はユーザーがM240と呼ぶようになったので、混乱し紛らわしくなったからだと。どうでも良いがあんまり一貫したしたネーミングポリシーに見えない。朝令暮改。後付けでいろいろ言い訳しているようにしか聞こえない。ライカ社の市場戦略は、ビジネスケーススタディーとして非常に興味深いものがあることはこれまでもなんども述べた。時に違和感満載だったりするのでライカを語るとどうしても、辛口のコメントから入ってしまう。それだけ「いじられやすい」カメラなのだ。孤高の人はいじられやすい。しかしそれでも平然としているのが孤高の人だ。

 しかし今回のM10は、非常に完成度の高いMに仕上がったと感じる。先日ライカショップで実機を手に取る機会があったが、なかなか手ごたえを感じることが出来た。あのM8登場時の、まだ試作品のまま売り出してしまったんじゃないかと思ってしまうような未熟さと、バグや???マーク満載のデジタルカメラ(また辛口!)から10年。「遅々として進んできた!」(またまた辛口!)デジタルカメラ化の進歩が、とうとう完成の域に到達した感がある。Type240でもかなり完成度が上がったと思っていたが(以前のレポートで70点といった)、デジタルカメラとしての機能(特にライブビュー機能)、高感度特性、撮影・読み出し処理速度の改善、したがって撮影のサクサク感が大幅に良くなった(90点だ。100点はどんなカメラもない)。これまで何度も言ってきた通り、Mをデジタルカメラにする以上、デジタルカメラとしての信頼感・安定感と機能の高度化を目指して欲しい。それがようやく実現した。これは画期的だと言わざるを得ない。

 世の中はミラーレス時代。プロ用機材やハイエンド機材としても使用に耐えうるミラーレス製品が続々と市場投入されてきている。こうした中、いつもMの新製品が噂されるたびに、次のライカMはレンジファインダーを無くすのでは?といわれつつ、結局はなくならない。昨年、ライカ社はMとは別のデジタルカメララインアップを市場に投入し、ミラーレスはSLやT, Qなどのシリーズでカバーし始めた。したがって伝統のMはあくまでもMとしてシリーズ化してゆく。レンジファインダーとったらMじゃない。ライカのアイデンティティーがなくなってしまう。クラウンジュエルは死んでも離さない。ニコンやキャノンがプロ用機材はあくまでも光学プリズムとミラーを使った一眼レフにこだわるのと同じだ。外見も頑なにM3からのラウンドシェイプを守っている。一時期M5で弁当箱型の大きなサイズに変えて評判を落としたのに懲りたのか、M6で元に戻した。しかしデジタル化した時、M8ではボディーは厚みを増し、全体に若干大型化した。以降M9, M Type240とこのボディーサイズを継承したところ、これに違和感を感じるユーザーが思いのほか多かったという。個人的にはこれはこれでホールド感が増し、好きなのだが。今回のM10の最大の売りは、そのボディーサイズがM9やM Type240より4mmほど薄くなって「とうとうオリジナルのM3のそれと同じになった」ことだという。実装技術イノベーションで伝統的なサイズにリパッケージできた。これがM10の最大の特色というわけだ。さすがライカ社は技術ブレイクスルーの使いどころが違う。拘っている。ライカユーザーはそんなに保守的なのだ

 M10の特色

1)ボディーサイズが4mm薄くなった(ライカ社はこれが最大の特色だと言っているのだから、これを一番に挙げるべきなのだろう)。
2)画像エンジンがMaestro II (S, SL, Qと同じ)となり、高速でレスポンスが良くなった。特にライブビュー機能が大幅に改善した。
3)新しい2400万画素CMOSセンサー(ローパスフィルターレス)を開発し、Maestro IIとのチューニングで画像再現性(ダイナミックレンジ、高感度特性、周辺部画質など)が大幅に改善した。特に2400万画素のまま低輝度撮影の画質を大幅に改善した。色味はM9を再現したという。

 私はこの三点に尽きると思うが、そのほかのType240からの変更点をいくつか挙げると、

1)ビデオ撮影機能を廃止(Mには不要というユーザが多かったそうだ。私もだが)。
2)ISO感度ダイアルを軍艦部に設けた(相変わらず露出補正ダイアルは設けない)。
3)光学ファインダーの視野率が30%広がり見やすくなった。
4)外付けEVFはTL用のものを利用し解像度が増して見やすくなった。GPS機能付き。
5)WiFi搭載、スマホアプリとの連携。
6)フレームセレクタレバーを復活。
7)水準器機能を廃止(なぜ?)。
8)背面の機能ボタン数を減らした(削除ボタンも廃止)。
9)ストラップ擦れ防止ペグを廃止(傷がついても構わない!)。
10)ブラックボディーはペイントからクロームに(「剥げ」を楽しめない)。
11)バッテリーがボディーサイズに合わせ薄型になった(動画もないので小型化)。
12)バッファーメモリーを2Gに増やし、連写機能が向上(Mで連写はしないが...)。

 何よりも、新しい画像エンジンMaestro IIと新開発のCMOSセンサーでサクサク感が大幅に改善したのが一番だ。とくにライブビュー撮影でのレスポンスが良くなり、ミラーレスカメラとしての実用性が大きく改善した。Maestro IIは昨年発売されたミラーレス機であるSLとQに取り入れられており、その使用感は既に馴染みになっているだけに、同じ感覚でM10と向き合えるのは嬉しい。私はフレームの外側を見ながら「予想撮影する」というライカ使いの達人でもないし、ストリートフォトグラファーでもないので、結局、レンズとファインダーの視差がある不正確なフレーミングのレンジファインダーを多用することはない。もちろんクリアーな実像を光学ファインダーで見つめる喜びは共有しているが。コンパクトで良い道具感に溢れるMボディーを、きちっとしたフレーミングが取れるミラーレス機として、これまでのオールドレンズを含むMレンズ資産を活用できることが嬉しい。これはライカ社の本意ではないかもしれない。しかしせっかくライブビュー撮影機能を備えたのに、レスポンスが悪いのでは実用にならない。かといって、ライブビューを取り払ったType242に手は伸びない。そこまで私はストイックではない。デジタルカメラになった以上、最小限のデジタル化の恩恵を享受したいだけだ。惜しむらくはQのようにEVFを内蔵してくれると一番なのだが(Fujifilm X-Proのようなハイブリッドファインダーは凄いと思う)。スリークなボディーラインを楽しむカメラにプラスチック製の外付けファインダーは似合わない。

 また、高性能な画像エンジンと合わせて新規に開発された2400万画素CMOSセンサー(サードパーティー製)は、画像再現性が一段と良くなった。特に階調の豊かさはもともとライカMレンズの特色だが、ボディー側もそれを支える最適プラットフォームになった。シャドウ部の情報量をキープして潰れない。撮影後の後処理にも耐えうる高品位な画像データを生み出してくれるボディだ。またISO感度は100~50,000と拡大し、画素数を減らすことなく(2400万画素のままで)高感度特性が大幅に改善してノイズが少なくなった点も特筆に値する。これはavalable lightでの撮影を重視するライカ使いには大事な進化だろう。色味は、いろいろな市場調査からM9時代のCCDセンサーのそれにしたという。具体的にはGentle&Warm。それとCosyだそうだ。巷にはMシリーズのCMOSよりもCCDの画を好むユーザーがいることは知っていたが、それほどなのか。私にはよく分からない。これは好みがあるだろう。これまでと同様ローパスレスなので高解像度である点は変わらない。ただセンサー前のカバーガラスを改良(若干厚みを増した)、Mレンズからの入射光が受光素子に対して最適になるようマイクロレンズを再設計したという。やはりこうした点からもMレンズに最適のボディーはやはりMボディーだということになる。ボディーサイズの改善も重要だが、こうした画像エンジン(Maestro II)と、新たに開発された2400万画素CMOSセンサー、いわばカメラの脳と心臓の大幅な進化がやはりこのM10の特色だと感じる。

 ライカMは、デジタルになってもフィルム時代から長年使ってきたフォトグラファーの手に馴染む形と操作感を大事にしてきた。数字上のスペックよりも道具としての使い心地を大事にしてきた。そういう意味において、その使い心地の継続性を新しいデジタルプラットフォームの上でも実現させなければならない。デジタルカメラ化した以上、その基本性能のブラッシュアップは必須であったはずだ。今回、レンジファインダーが見やすくなって、ボディーサイズがフィルム時代のMに戻ったことはもちろん画期的であるが、それとともに、10年の試行錯誤の末に得た新しい画像エンジンと画像センサーを導入し、タフで繊細で頭の回転が速いデジタルカメラとしてのクオリティー、能力が大幅に改善したこと、これが私にはとっては一番嬉しい。

外付けEVF
シンプルな背面ボタン配置

軍艦部左にISO感度ダイアル
電源スイッチ部はオン・オフのみで連写クリックがなくなった

(写真はライカジャパンのHPより引用)




 (参考)Leica M Type240に関する過去のブログ:

2015年10月6日:Leica M (Type240)  〜2年目の使用レポート〜


2013年4月5日:Leica M( Type240) の使用感など 〜ライカのジレンマ〜


2012年10月26日:Leica Mという画期 〜MはやはりMなのか?〜