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2017年7月9日日曜日

箱根の関所 〜関所の歴史は意外に面白い〜


復元された箱根の関所


 なん年ぶりかで箱根を訪れた。週末いつも込み合うイメージの箱根も、梅雨時の平日はがら空き。箱根ターンパイクから元箱根、芦ノ湖畔、箱根関所、恩賜公園へ。さらに伊豆スカイラインを南下して伊豆の隠れ家へというドライブコース。爽快に走り抜ける。これだけ空いているなら車も良いものだ。箱根の関所が復元されていた。なかなか堂々とした佇まいの関所だ。考えてみると関所っていつごろどういう理由で設けられたのだろう。ふと「時空トラベラー」的な興味が沸き起こってきた。簡単に振り返ってみよう。

古代

 関所は、大化の改新の詔により設置されたのが最初だと言われる。東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、北陸道の愛発関(後に逢坂の関)の三関がそれだ。律令体制による人民支配の手段として「本貫地主義」、すなわち公地公民の制、庚午年籍により戸籍を定め、租庸調などの税収を確保するために公民を特定の土地に固定しようというものだ。このように関所は公民が勝手に他国へ移動しないように監視したのが始まりと言われている。もちろん都の防衛や政治犯の逃亡を防ぐ、流民の都への流入を防ぐことが重要な役割になってゆく。壬申の乱の時には鈴鹿の関守が大海人皇子に味方し、近江への進軍を助けたというエピソードが残っている。また、時代は下るが、東北に落ち延びる義経を助けるため弁慶が関守冨樫正親の前で空白の勧進帳を読み上げ、冨樫もそれに気付きながら通行を許したという、有名な歌舞伎「勧進帳」の安宅の関は平安末期、鎌倉初期ころの関所だ。

中世

 すでに平安時代ころから律令制は崩壊に向かい、公民を土地に固定する本貫地主義や京の治安維持という軍事、警察より、朝廷や荘園領主、武家勢力、有力寺社などの権門、地域の支配者が通行料を取る目的で数多くの関所が設けられた。これが彼らにとっては貴重な権益になったのだが、諸国間の自由な通行、流通の妨げとなったことは言を俟たない。一方で、通行の安全と治安を守るという役割も果たしたという。しかし戦国時代には、こうした通行銭稼ぎの関所が衰退し、さらに織田信長や豊臣秀吉が天下統一を果たすと、諸国の自由通行、交易を盛んにするために関所を徹底して廃止した。既得権益を解体し、新しい自由交易/情報流通体制を企図したわけだ。信長、秀吉は国内外の交易による国富を目指す、当時としては革命的な政治指導者であり経済構造改革者であった。

近世

 江戸幕府が開かれると、軍事、警察目的で、幕府や各藩は再び関所を設置するようになる。秀忠は五街道の整備と合わせ、江戸を守り、徳川幕藩体制を維持するために交通の要衝に関所を復活。元和5年(1619年)に東海道の要衝である箱根の峠に関所を設けた。このほかにも東海道の新居関、中山道の木曽福島関、碓氷関が江戸へ通じる要衝を守る規模も大きく重要な関所とされた。さらに寛永12年(1635年)に参勤交代が制度化されると、全国の大名の行列を取り仕切る関所の役割がクローズアップされるようになる。さらに「入鉄砲出女」取り締まり、すなわち江戸に入る武器類と、江戸から出る女(大名の婦女子は江戸藩邸に留め置かれる人質であった)を監視することが重要な役割となった。こうした徳川幕府による参勤交代・大名支配の手段の一つとして、江戸期を通じて全国に53箇所あまり関所が設置されたという。こうした通行の監視は武家/大名に止まるわけではなく、一般の庶民の通行にも及んだ。庶民にはとんだトバッチリだったわけだ。

 箱根の関所は峻険な箱根山中に設けられ、山と湖に挟まれた狭隘な地形を通るように設計されている。それまでは御殿場ルートが一般的であったようだが、東海道整備とともにこの警備しやすい箱根ルートに付け替えられた。ゆえに旅人にとってはチェックの厳しい関所のイメージがあるが、のちにお伊勢参りなど、旅が信仰と行楽を兼ね、庶民にも広まると、通行手形があれば意外と自由に通行できたようだ。ただし関所破りは磔の刑。幾多の悲劇が語られている。そして箱根では「入り鉄砲」よりも「出女」の方が厳しくチェックされた。「あらためババア」が女性の髪の毛や身体検査をしたとされ、現在は人形で当時の模様が再現されている。幕府は箱根の芦ノ湖畔に関所を作ろうとした時、地元民の反対に直面した。ようやく、集落から少し離れた場所に東海道の箱根宿を新たに設けた上で関所を設置した経緯がある。現在の元箱根が、文字通りオリジナルの箱根の集落であった。ちなみに芦ノ湖は漁労禁止、進入禁止。高見番所から湖上を監視していた。関守は小田原藩の役割だった。

 明治に入って全ての関所が廃止された。国内は自由に行き来できるようになったわけだが、国と国をまたがる自由往来はまだまだ先のことだ。むしろ近代的な国民国家概念、主権国家概念などにより、国籍や国境が生まれ、通行はむしろ不自由になった感さえある。空港や港、国境の入国審査と税関検査が現在の関所であるわけだが、自由貿易協定やEUのような試みは、やはりこうした関所の長い長い歴史を考えると紆余曲折を経ることになるのだろう。パスポートという通行手形はしばらくは無くならない。





箱根関江戸口御門

関所の防御施設も復元されている
左上の高台には遠見番所が

大番所


遠見番所から関所と芦ノ湖を俯瞰する。

なんだか長崎港の古写真みたいな景観に見えてしまう...
観光用の帆船のせいだ


広重
東海道五十三次
箱根

東海道箱根峠道

(撮影機材:LeicaSL+24-95)