ページビューの合計

2010年11月10日水曜日

高野山 レジェンドの地に紅葉を愛でる








 秋の休日、連れ合いと初めて高野山へ行った。

大阪難波から南海電車の特急「こうや」で1時間半ほどで極楽橋へ。なかな快適な電車だ。途中橋本からは勾配を登る山岳ルート。曲がりくねった渓谷沿いをくねくねといくつかのトンネルをくぐりながら登ってゆく電車。なんとなく箱根登山鉄道に似ている。極楽橋駅は標高514m地点だ。途中、九度山を通過。ここはあの真田昌幸、幸村親子が家康によって幽閉されていた所。

極楽橋でケーブルカーに乗り換え山上の高野山駅へ。5分程で到着する。この駅は歴史ある木造駅舎。しかし,残念ながら慌ただしく山上バスに乗り換える為,ゆっくりと鑑賞する時間がない。バス専用道路と乗降広場だけで回りに見るべき所もなさそうだ。
電車、ケーブルカー、専用バスという乗り継ぎルートは信貴山朝護孫子寺への行程と似ている。山岳宗教都市への交通は何処もおなじようだ。

さて、山頂はにぎやかな宗教都市の感。それにしても道路は車の列で埋まっている。動かない。歩くのが一番。
山上バスは女人堂から金剛峰寺、根本大塔、大門へ行くか、奥の院へ行く2ルートで運行している。普段は一時間に1〜2本程度だが,この時期は臨時バスがピストン輸送しているので便利だ。

お山は里より一足先に紅葉が始まっている。杉の古木に囲まれて金堂や根本大塔、西塔などの数多くの堂宇が立ち並ぶ壇上伽藍,さらに奥の院辺りの黄色、紅色の紅葉が目に鮮やかだ。黄色い葉が徐々に紅く変わっていくのだろうか、ハイブリッドな紅葉が多いように思う。遍路姿の参詣客がここかしこに。南無大師編照金剛の袈裟を羽織り、金剛杖を片手に金剛峰寺に参る姿が高野山の風景を独特なものにしている。

ヨーロッパからの観光客も多い。彼等にとってもなんとエキゾチックで神秘的な聖地であることか。ちょうど我々がギリシャのデルフォイを訪ねた時に感じた霊感、東洋人である我々がオリーブの杜に包まれたデルフォイ神殿を目のあたりにして圧倒されたように、彼等も塔堂の力強さに心奪われ、高野山の一木一草に霊力を感じるはずだ。宗教の違いや人種、民族の違いを超えた「何か」を感じるはずだ。

ここでは歴史的な史跡,というだけではなく、今に生きる信仰の場である。高野山真言宗総本山、教団本部所在地であり、多くの善男善女が訪れる祈りの場である。多くの巡礼は宿坊に泊まり時間をかけて塔堂伽藍に参詣する。

高野山は真言宗の根本道場。弘法大師、空海が814年に開いた真言密教の聖地である。その後、真言宗は時代とともに分裂,集合を繰り返し、今や18宗派ありそれぞれに総本山があるそうだ。金剛峰寺は高野山真言宗の総本山。ちなみに長谷寺は真言宗豊山派の総本山である。

空海は四国は讃岐の生まれ。四国八十八ヶ所巡礼(お遍路さん)などの弘法大師信仰は空海の説く法と彼の人徳、人望によるものだ。平安初期のもう一方の天才、最澄、天台宗を開いた伝教大師とともに遣唐使として唐に学び,帰国してそれぞれに仏教の奥義を説き,互いに激しく論争した。言うまでもないが比叡山延暦寺は最澄が開いた天台宗の根本道場だ。

高野山は我が家にとっても身近な山であった。大阪に生まれ育った父にとって高野山は、学生時代の夏休みには友達と籠り勉強した思い出の地。大大阪の喧噪を離れて避暑に最適な所だけに,心静かに勉学に励めたのだろう。後の父の人生の基礎を育んだ土地と言っても過言ではない。祖母方の実家の墓所も高野山にある。こうしたことから祖母からしょっちゅう高野山の話を聞かされていた。やっとその伝説(レジェンド)の地、高野山に来れたわけだ。

空海が今も瞑想していると言われる御廟のある奥の院。その2キロに及ぶ参道の両側は広大な墓地である。徳川家が高野山を菩提寺としたこともあり、多くの江戸期の大名が墓所とした。そうでなくても秀吉や信長などの歴史上の有名人物の墓が並んでいる様子は高野山ならでは。それ以外にも多くの一般の人の墓も、そして企業の墓がユニーク。物故従業員や創業者一族を祀るものが多いが、広告塔のようでもある。ロケットを墓石にしたS・M工業の墓地が威容(異様)を誇る。ここは宗派に関係なく墓を建てることが出来るそうだ。そして高野山に墓所を構えることが一種のステータスにもなっているようだ。ここも紅葉が美しい。静けさとは無縁の人出であったが...

今回は一日駆け足で回ったが、やはり宿坊に泊まりゆっくりと過ごすべきだと感じた。今回は下見だ。また来よう。もう少し静かな時に...ゆっくりと心を無にして。