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2012年10月26日金曜日

Leica Mという画期 〜MはやはりMなのか?〜

 今年10月のケルンでのフォトキナで、遂にライカM9の後継機種が発表された。M9の後継だから、「M10」だろうという大方の予想に反して、製品名は「Leica M」。これからはいちいちMの後に番号入れないで、「Leica M」に統一するのだそうだ(ちなみにType240という製品番号が付与される)。銀塩カメラMシリーズが初代のM3からM7で終わるまで50年かかっているのに対し、デジタル製品の商品ライフサイクルがどんどん短くなってきているので、これからの新製品リリースサイクルは(さすがのドイツメーカーであったも)短くなることを想定しているのか?
このLeica Mは2013年の初旬にいよいよ市場にリリースされるとの事だ。




(ボディーはシルバーとブラックペイントの二種。サイズはM8やM9と変わらない。液晶モニターが3.0型で大きくなり,ボディー背面の限られたスペースにかなり無理にはめ込んだ感がする。)
(写真はライカ社のホームページから引用)

さて、このLeica Mの特徴であるが、ライカ社のホームページから引用すると、

- 新開発の撮像素子による優れた描写力
- 新たにライブビュー機能およびライブビューフォーカス機能を搭載
- ライブビューでのピント合わせをサポートする「ライブビューズーム」機能と「ライブビューフォーカスピーキング」機能を搭載 
- 「ライカ RアダプターM」(別売)を装着することにより、ほぼすべてのRレンズをライカMで使用可能
- フルハイビジョン(1080p)動画撮影機能を新たに搭載
- 最高ISO感度が6400へ向上
- 高精細な92万ドットの3.0型液晶モニター、カバーガラスにはコーニング社のゴリラガラスを採用
- 高性能な画像処理エンジン「LEICA MAESTRO®」
- ほこりや水滴や湿気からボディを護するために、施された特殊なラバーシール
- 長時間撮影可能なバッテリー
- 評価測光、スポット測光
- より快適な操作性

すなわち、これまでのフルサイズCCDセンサーからより高精細な2400万画素フルサイズCMOSセンサーに変更し、画像処理エンジンをSシリーズにも実績を有する「LEICA MAESTRO」に。撮影素子の供給はこれまでのKodak社から,CMOSIS社に変更になった。ローパスフィルターレスは継承されている。ライカらしい画造りが期待される。

そして、一番の売りは、ついにライブビュー機能と、ライブビューによるフォーカス機能(これをアシストする拡大、フォーカスピーキング機能つき)を導入したことだ。さらにフルハイビジョンの動画撮影機能も追加した。これに伴い、これまでのM8やM9についているオマケのような見劣りのする液晶モニターを、高精細かつ大型の液晶モニターに変更した。また、オプションとしてアクセサリーシューに外付けの電子ビューファインダー(EVF)を装着可、とした。これらの機能追加とボディーレイアウト変更に伴い,操作系にも変更が見られる。

ライカ社も時代の流れには逆らえないのか,というのが正直な感想である。ただ、これは要するに(皮肉な言い方で恐縮だが)これまでのM8、M9のような、銀塩フィルムの代わりにCCDセンサーを撮像素子として詰め込んだ、極めてプリミティヴな「レンジファインダー式デジタルカメラ」から、やっと、ほとんどの日本メーカ製の「今のデジタルカメラ」並になった、ということだろう。カメラのデジタル化の進歩としては極めてスピードが遅いというか、保守的な印象だ。もちろんニコンやキャノンなどのデジタルハイエンドカメラとライカを単純に比べるのはセンスに欠けるとは思うが、しかし、ここまでライカも「デジタルカメラ度」が進むと、だんだん比較せざるをえなくなる。

CMOSセンサーは、今や日本製のハイエンドデジカメはほとんどが既に導入済み。画像処理エンジンもソースは日本の某リーディングカンパニーのものらしい。ニコン、キャノンのハイエンド一眼レフデジタルですら、ライブビューは定番機能となっている。まして,液晶モニターはようやく普及機並のサイズと精細度になった(これまでがショボ過ぎた)。外付けのEVFに至っては、Leica X2用のものを流用するという。しかも,オリンパス製らしい。どうも,削り出し真鍮をまとった金属Mボディーにプラスチック製の外付けファインダー付けて、「Electronic Vissoflex」などと称しているのは笑ってしまう気もする。今ならなぜFujifilmのXシリーズのようなEVF/OVFのハイブリッドファインダーを搭載しなかったのか?

さはさりながら、ここまでデジタルカメラ化が進むと、誰もが思うのが「これはLeica Mといいながら、もはやLeica Mじゃないじゃないか?」ということ。ライカ社の自慢の光学式レンジファインダー。その故にM(ドイツ語のレンジファインダーを意味する)を冠した光学レンジフィンダーカメラLeica M。ニコンやキャノンが、ついに追いつけず、諦めて一眼レフに方向転換したあのレンジファインダーカメラの頂点。しかし,今こうなったデジタル「Leica M」に、わざわざ光学レンジファインダー付けておく必要があるのか? フォトキナでのジャーナリストの質問に、「無くして欲しい,という声は無い」と開発者は答えたという。

何とも「Mの存在理由である20世紀前半の最先端技術にこだわり、その上に21世紀前半の先端技術を接ぎ木した、あるいは前世紀の技術革新のクラウンジュエルを残すとコウなった」というような。ここまで来たら、そろそろ20世紀的な「M」から21世紀の「D」(Digital)にシリーズ展開しても良いのではという気がする。多分しないだろうなライカ社は...

一方、保守的なライカファンからは、ライブビューや動画機能追加にかなりのブーイングが出ているようだ。なんとなく理解出来る。これに対するライカ社の答えは、「だからLeicaM-E(M9の廉価版)を同時に出した」と。答えになっているのかな? 一方、フィルム用Mカメラの製造は既に終了しているが、熱烈なファンのために若干ながら注文生産しているらしい。しかし、フォトキナでのジャーナリストの質問「ライカ社は最後のフィルムカメラメーカーになるのか?」に対し、開発責任者は「いや、最後のフィルムカメラメーカーはロモだろう(笑)」と切り返したという。やはりオールドライカは消え行くのみか。

私のようなシロウト趣味人にとっては,こういう面白い(というか、過渡的な)立ち位置のカメラがあってもいいと思う。商業的に成功するのかどうかは別問題だが。もっともM9やMPは商業的には成功したようで、既に投資回収出来たので、後継機種開発に向った、というのが会社側の説明である。

個人的には、このLeica Mは、実機をまだ観てもいないし,触ってもいないが、何となくこれまでのデジタルM8、9の完成度から想像出来るような気がする。おそらくニコンやキャノン、富士フィルム製に比べると,まだ中途半端な「ううン,イマイチ、隔靴掻痒...」的な。デジタルカメラとしてはまだ最新のレベルに追いついていないいんじゃないか。少なくとも価格に見合うだけの機能を実現しているか。言わせてもらえば「外付けEVFなんて止めてくれよ,今更... ミラーレスやコンデジじゃあるまいし。」また個人的には動画機能はいらない。

しかし,それでも素晴らしいライカレンズ資産をフルサイズでより使いやすくなるのは大歓迎だ。大型液晶モニターでのライブビュー撮影が出来るのは大きな進化だと思う。さらに、アダプターを介してRレンズを使用出来るのは嬉しい。眠っていたR資産の活用が期待出来る。もちろん、より高画質、高速処理、高機能であるならばそれにこした事は無い。正常進化である。今までの何とも言えないフラストレーション(イマイチ感)を少しでも解消してくれる事を期待する。さすがに,ライカだから許される、とか、使い手がカメラに合わせる事を期待する、とか、所有欲を満足させるブランド品だから、とかはもはや通用しない。価格に見合った実用品としての道具の使い勝手や質が向上するならば歓迎だ。

新製品LeicaMの発売は2013年初旬と言われている。多分,フォトキナバージョン(?)よりは少しはブラッシュアップされて市場にデビューするのだろうが、大きく仕様が変更される事はないだろう。新製品が出る前からこんな事言うのもなんだが、願わくば(多分次の製品では、かな?)、富士フィルム社製のXシリーズのような、ハイブリッドファインダーを搭載して欲しい。さらに、光学式レンジファインダーの限界から来る、Mレンズの最短撮影距離0.7mの呪縛から解放して欲しい。ましてオールドMレンズの最短撮影距離1mなどという「超老眼レンズ」は、さすがにライブビュー,あるいはEVF時代には古さを否めない。ちなみに、Fujifilm X-Pro1やSony Nex 7用に、ヘリコイド付きのサードパーティーレンズアダプターが出ている。これは泣けるほど嬉しい。オールドズミルクス50mmや35mmで近接撮影が出来るんだ(涙涙涙)。そのボケ味の美味しいコト。

ライカ社のように、保守的なユーザを大勢抱えて、しかもブティーク型の(ニコンやキャノンや富士フィルムなどの大会社に比べて、だが)のブランド品メーカにとって、技術イノベーションだけが、顧客を満足させるものではないし、会社の立ち位置を明確にする依って立つべきものでもない事は理解出来る。また、マス市場に進出して事業規模を拡大する事だけが株主の利益になる訳でもないだろう。まして利幅の薄いコモディティープロダクトは、製造コストの安いアジアの新興国にまかせておけば良い。会社経営のゴール、ビジョンという視点からも面白い会社だ。成功を祈る。

もちろん,先述のように、LeicaMシリーズをM3から使用し、コレクションしてきたマニアの視点からも,60年のMの歴史に画期となる新製品のリリースにはワクワクする。「デジタルカメラ度」が増すにつれ「ライカらしさ」は薄れて行くのだろうが、商品としてのカメラにとって、なにが「合理的」な答えなのか、それを考えさせられる不思議なカメラ、ライカ! 今後は,日本製デジタルカメラを追いかけるだけではなく、ライカならではの、ユニークで使い手を納得させる新しい価値を提示してくれる事を期待したい。



(ファインダーのブライトフレーム用採光窓は無くなり、M9チタン限定モデル同様LED照明方式に。ブライトフレームセレクターレバーも無くなった。ライカの赤ロゴマークが大きくなって真ん中に。)



(白いMのロゴと赤いライカバッチが目立つ。好みの分かれるところだ。M3などにあったフィルムリワインドレバーの位置に、ピント合わせボタンが)





(ハンドグリップにフィンガーループ(M9チタン限定モデルから採用)。これは意外に使いやすい。RレンズマウントアダプターにRレンズ、そして外付け電子ファインダーを装着するとかなりものものしいイデタチになる)


2012年10月24日水曜日

「くにのまほろば」ヤマト世界を見渡す ー龍王山登山ー







以前から山辺の道を歩くたびに思っていたのは、その背後にそびえる龍王山に登れば、きっとヤマトが一望に見渡せるだろうなということ。ヤマト世界のランドマークになる三輪山が一番いいのだろうが、ここは聖なる山なので、入山するには三輪神社の許可を貰い、さらにいろいろ制約がある。まず写真を撮ってはいけないので、ブラパチ写真家の私にとってはなかなか辛い。だから隣に連なる龍王山が撮影にはベストだ。何時か登ろう、と。

龍王山は,山辺の道の長岳寺、行灯山古墳(崇神天皇陵)の東にそびえる586mの山である。奈良盆地をグルリと取り囲む大和青垣の一つで三輪山に隣接する。邪馬台国近畿説に立てば、ちょうど卑弥呼の居たと言う邪馬台国の背後にそびえる山と言える。

秋晴れの好天の週末、とうとうこの山に登ることが出来た。予想通りの素晴らしい展望である。まず、眼下には崇神天皇陵、景行天皇陵などの6世紀頃の大型古墳、三角縁神獣鏡が大量に出た黒塚古墳など大倭古墳群が。さらには卑弥呼の墓ではないかと言われる3世紀の箸墓古墳が見える。正面には二上山がそびえ。そのやや北の山稜の途切れるところに竹内街道の穴虫峠。さらに右(北)には信貴山、生駒山。左(南)に眼を転ずれば1000m級の葛城、金剛山を背景に、大和三山が展望出来る。まさに大和国中を一望出来る位置だ。

龍王山登山には二つのルートがあるが、今回は崇神天皇陵脇から登るルートをとった(もう一つは長岳寺から登るルート)。途中、龍王山古墳群を抜ける。山道沿いに古い玄室が確認出来る古墳が一基あるが、ほとんどの古墳は鬱蒼とした森林の中に埋没してしまっていて視認する事はできなかった。6ー8世紀頃の横穴古墳が800基ほどあるそうだが、ほとんど調査が行われていない謎の古墳群。

山道は、標識は整っているものの、結構なガレ場続きで歩くのに難儀する。しかも途中休憩するところも無いので意外に苦戦する。ゼイゼイいいながらやっと長岳寺奥の院の道標まで来た。しかしそれらしき堂宇も見当たらない。不動明王の石像といくつかの石碑が木立の間に見えるだけだ。

さらに1キロほどで、4キロの登山道を上り切る。田龍王社まで来ると、何の事は無い、狭いながらも舗装された車道があって車で登ってきている人がいる。近郊登山によくある事だが、正直かなりガッカリする。格好はイッチョマエの山ガール達がキャーピーキャーピー車から降りてくる。「オーマイガット!」 逆に、山ばあちゃん(失礼)と山道ですれ違い、「こんにちわ」の挨拶を交わしたが、そのカクシャクとした姿に励まされたりもした。

山頂は中世の龍王山城遺構となっており、南城と北城に分かれる。北城の方が広いが、南城の主郭跡が三角点のある龍王山山頂だ。ここからの展望が先述の通り素晴らしい。龍王山城は戦国時代に地元の豪族十市氏によって築かれた山城で、その縄張りは高取城を上回る広大なものであったという。しかし今はその面影を見つけようにも明確な痕跡が見当たらない。石垣などもほとんど残っておらず、高取城のように幕末まで続いた城じゃないので、遺構は自然に帰してしまっているのだろう。

山頂から奈良盆地を見下ろすと、卑弥呼の神殿跡ではないかと言われる纒向遺跡は、ちょうどこの龍王山と三輪山を背後に、西向きに二上山の方向の東西軸に位置づけられている事がはっきり確認される。弥生時代末期から古墳時代、飛鳥時代の古代倭人の世界観が手に取るように分かる。この見渡せる範囲内の奈良盆地の中で宮都が転々と遷り、飛鳥古京、藤原京を経て平城京へと北上して行く。そして主要な豪族や渡来系の氏族の本拠地はこの盆地を取り巻く山々の麓に点在している。まさに「ヤマト」(山処:やまのあるところ)にムラ、クニがあった。

ギリシャのデルフォイ神殿や、古代ローマのフォロロマーノ、中国の長安城のような空気とは異なる、まことにこの視野の範囲内の、山々に抱かれた自然の箱庭のような世界が古代ヤマト世界だったのだと。自然を征服するのではなく自然の中に「生えている」(共生している)姿が古代ヤマトだった。そして、外の世界とはあの二上山北の山稜の途切れる峠道のむこうの、難波、瀬戸内海、チクシを通じて繋がっていたのだと。これが此岸「国内」、彼岸「国際」二元論の原点かと。

足下の悪い山道を下山し(途中で滑って転び、大事なニコンのズームレンズを岩にぶつけて壊してしまった。しかし本体のカメラボディーは傷がいくつかついたものの堅牢そのもの。さすがDurable, Dependable Nikonだ。)、山辺の道から二上山に沈んで行く太陽を観ていると、自らが感じうる自然の摂理に恐れ敬い、仏教伝来後には、西方極楽浄土を憧れた、古代倭人の宇宙観を感じる事も出来る。「やまとはくにのまほろば」とはこの姿,佇まいを歌ったものなのだ。





















































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(アクセス:JR桜井線(万葉まほろば線)柳本駅下車。柳本の街を通り抜け、崇神天皇陵から登るルートと長岳寺から登るルートがある。約4キロで山頂へ。)