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2014年7月22日火曜日

失敗から学ぶ 災い転じて福となす 〜HDD破壊の教訓〜

 写真のRAWファイルを保存していた外付けHDDハードディスクドライブが壊れた。ここ一年分くらいの写真データが喪失した。ガックリだ! HDDの電源を入れるとなかでカラカラと異音がして、やがて電源が切れてしまう。もちろんPCはHDDを認識しない。こうなるとただの箱。何の役にも立たない物体を見下ろして涙するばかり。論理障害ではなく、物理障害だ。幾つかの業者に診断してもらったが、データ復旧可能、と自信たっぷりに言うところと、完全復旧は難しいと言うところに分かれる。ネットでの情報を総合すると物理障害の場合、どうも復旧は困難のようだ。復旧可能と言っても100%ではなく、ファイルが壊れているとRAWデータがそのまま残っている可能性は低いだろう。以前の経験(SDカードの破壊)でもrecovery fileで上がってきたのは、DNGフォーマットは失われており、幾つかのJPEG ファイルとThumb nailクラスの小さなファイルのみであった。それにデータ量の多いHDDからのデータ復旧の費用は馬鹿にならない金額だ。

 HDDは精密な駆動部を持った機械で、熱、振動やホコリに弱いからいずれ壊れる。使用頻度に寄るが4〜5年が寿命かもしれない。以前、MacのTimeMachineも購入して1年程で壊れて,バックアップデータが全て消えた。保証期間中なので無料で修理いたしました、と「弁当箱」返して来たAppleさん、これじゃバックアップにならんだろう、と悔し涙が出た。クラウドサーバーでも、プロバイダーは、バックアップ、ミラーリング構成を取りながらも、定期的にHDDやSSDを取り変えながら運用している。

 重要なデータは二重三重のバックアップが必要である。今回をそれを改めて痛感した。これまでも少しずつクラウドサーバーやDVDやCDへの保存を始めていたが、本格的にバックアップをしなくては。しかし、DVDとて経年劣化する媒体だし、サーバー事業者だって何時までサービス提供してくれるのか保証の限りではない(つい最近も某大手プロバイダーがブログサービス止めると発表して慌てさせられた)。写真も結局プリントアウトして保存するしか無いのか。銀塩時代はネガフィルムやポジフィルムがあった。これとて経年劣化するが、保存状態を良くすれば結構長持ちする。父が60年前の在米時代に撮ったポジスライドは、いくつかのコマに黴が見られるが、ほぼ完璧に保存されていることを考えると、デジタル/銀塩どっちがいいのか。

 電磁的に記録されたデジタルデータは今後、未来永劫残すことが出来るのか?、時代を超えた記録として未来につなげることが出来るのか?、という根源的な問いを思い起こさせる。結局は紙ベースの記録媒体でないと残らないのでは。やはりロゼッタストーンか粘土板かパピルスか、せいぜい書写された古文書くらいは博物館に残されている。技術は進歩しているのか、退化しているのか分からなくなってしまう。人類の記録をどう記憶させるか、という文明的な問題であることを改めて認識させられた。デジタルカメラが実用化されてわずか20年くらいだが、すでにPC内蔵HDDの毀損によりあのころの写真が消失してしまったり、初期の頃のフォーマットは今のPCでは読めなくなっているファイルもある。

 ともあれ、気を取り直して、消えてしまったRAWファイルのバックアップとして、ランダムに他のHDDに保存していたRAWファイルやJPEG化してPC保存していたファイルを、こつこつと拾い集めて、新たなHDDにアーカイブを造り始めた。また、HDDの寿命対応でDVDへのコピー保存も始めた。結構大変な作業だ。ブログに掲載した写真はかなり自動的に圧縮されていて元データとしては役に立たない。Picasaにアップしているデータも、圧縮版でアップしていたので、これからはオリジナルサイズでアップすることとする。

 新しいHDDは、寿命があるとはいえ、信頼のエンタープライズ級ディスクドライブ、空冷ファン付きの機種に変えた。また、データ容量が多いと、壊れやすいのと、壊れた時の被害が大きいのとで、2Tbクラスを複数台でバックアップする構成とした。RAIDも検討したが、今回は物理的に分けて2台構成とした。


 こうして、膨大な写真データを再整理していて、そのなかで気づいたことだが、これまで、如何に雑多な写真を手当り次第に撮り貯めていたかを痛感させられた。こうして膨大の写真ファイルを、単に量的に処理すべきデータとして扱っていると、なんだか写真を撮るという行為の結果がこのような煩雑なデータボリュームとして残っていることに、少々違和感を覚えてしまう。もちろん膨大な写真の山のなかから、お宝を選び出す眼力(キューレーション)と、編集能力(エディティング)が試されるコトも確かだが、もう少し写真は一枚一枚心を込めて丁寧に撮影しなくてはならないと反省する。「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」式ではだめだ。デジタルカメラは、ついつい何でも取りあえず撮っておこう、になる。自分が撮った写真を、めんどくさいジャンクの山にするか、素晴らしい宝の山にするか。心して写真に向かう必要があることに気がつかされた。

 一方、こうして、改めて編集、拾い集め作業をしてみると、最近Leicaで撮影した写真ファイルで、RAW,すなわちDNGファイルが少なくなっていることに気がついた。これは、続けざまに出てきたライカの新製品、Leica X VarioやLeica TなどのASP-CセンサーカメラでJPEGフォーマットで撮る機会が増えたことに起因する。手軽に美しいLeica写真が撮れる。LeicaのJPEGの取って出しが素晴らしいし、ファイルが軽いのでついつい。で、本家のM9やM Type240によるDNGフォーマットで、じっくり撮ることが少なくなっている。

 扱いやすい機材でキレイな写真をお手軽にどんどん撮っておけるのは便利で、ある面では永年の問題解決になっているのだが、そういう撮影スタイルが普通になってきていることが、先述のような膨大な写真データの山を築いている原因となっている訳である。以前のように高価なフィルム代と現像代を気にせずなくてどんどん撮れるが、それでも画素数も大幅に増え、メモリーやストレージや処理速度の速いPC,、ブロードバンド回線などの周辺環境整備にコストがかかることを忘れてはならない。何よりも写真一枚一枚に込められた思いが軽くなってしまったのでは何もならない。現地ではしっかり腰を据えてDNGで撮り、帰ってからMacにむかい、Light Roomでじっくりと自分の心に映った作品を仕上げる、という基本に返ることが必要だ。深く反省。

 今回のHDDクラッシュは被害甚大であったが、そのお蔭で、あらためてバックアップの重要性の認識、そして写真に対する向き合い方,など、デジタル時代の時空フォトグラファーの心得、これまでの撮影姿勢等々、もろもろ反省するきっかけとなった。「失敗から学ぶ」「災い転じて福となす」。

 ちなみに、フラッグシップLeicaM Type240はファームウエアーをアップグレードし、ver.2.0.0.14となった。これによって格段に使い勝手が向上した。

1)露出補正が、ダイアルのみで可能になった。
2)Lマウントレンズがアダプター経由で使用可能となった。以前からユーザに指摘されていた点の改良。
3)ライブビューで水準器が表示できるようになった。
4)フォーカスアシストで、合焦部分のハイライト色が赤の他に青を選べるようになった(しかし、相変わらず分かり難い)。
5)ISO感度AUTOの改良。
6)その他バグ改善。

さてさて,これを機にせっかくの名器をドンドン使い倒すとしよう!


Leica M Type240+Summilux 50mm f.1.4 ASPH


台風一過の夕焼け
Leica M Type240 DNGで撮ってLightRoomで現像