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2016年7月30日土曜日

 私の「青い山脈」 〜「青」というモチーフ〜

 大阪から高知へ飛ぶ双発プロペラ機ボンバルディア。エンジンをうならせながら高度を上げようとするが低空飛行のまま四国山地の険しい山々に差し掛かる。越えられるのかと心配になるが、健気に機体を震わせながらようやく飛び越えると、視界に突然太平洋が広がる。青い山脈、幾山河。そこを越えれば青い大海原だ。

 今月で40余年のサラリーマン生活に終止符を打った。海外生活11年、単身赴任生活10年。どちらかというと決められた定常的な仕事をこなして行く、というよりは誰もやったことがない新規ブロジェクトを企画実行する仕事ばかりだった。こういうとカッコイイが、不毛の荒野を開墾して種を植えるわけだから、常にあらゆるリスクと向き合う生活で、そんなカッコイイものではない。いちばんのフラストレーションは周りの理解をなかなか得られないということだったが、そんなことは慣れっこになった。失敗はつきもの。失敗するとバッシングがオマケについてくる。しかし成功の喜びは何にも替え難い。良き理解者やメンターにも恵まれた。幸いストレスで体を壊すこともなく、精神を病むこともなく、とうとうゴールテープを切ったわけだ。これからは肩書きと他人が決めたスケジュールから解放された自由人。資本主義のロジックと、所属する組織独特のロジックからも解き放たれる。出世欲、名誉欲、物欲といった煩悩とは無縁の閑人人生をスタートさせるのだ。ま、少しくらい欲は残るかもしれない。いや、なかなか煩悩から解脱できないだろうから、ちと覚悟しておく必要があるが...

 「青雲の志」を抱いて飛び出した故郷。あこがれの「青い山脈」から始まった私の人生は、その画期となる通過点に達した。確かに大きな節目ではあるが、新しい人生の出発点でもある。そこにはあの頃の「青い山脈」や「坂の上の青空に浮かぶ一朶の雲」はない。与えられたモデル、ゴールや目標ではなく、これまでに自分で歩んだ道のりを観照して、そのプロセスを見つけ、自ら設定する目的地に向かって歩み始める。

 「幾山河越えさりゆかば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」(若山牧水)

 「人間到処有青山」 人間到る処 青山有り(釈月性)

 そう、旅はまだまだ続く... 今振り返ってみると、これまでのことは未達のゴールへの道標にすぎない。孫悟空のように本当の宇宙を知らずお釈迦様の掌の上で暴れていたに過ぎないのに天下取ったような気分でいただけだ。道は彼方まで続いている。日暮れて道遠し。だが、急がず慌てず、脚下照顧。自分の足元を見ながら歩を進めよ。行け「青二才」!夜明けの来ない夜はない。自分のストーリーを求めて。