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2017年3月31日金曜日

桜はまだだ... 春爛漫の大和路を歩く(1)〜東大寺/春日大社/奈良公園 編〜

 いよいよ桜が開花。東京ではぼちぼち咲き始めた。ということで3月27−29日、奈良、大和路へ枝垂桜ハンティングに出かけることにした。今回は、入社同期組3人で出かけることにした。皆、定年を迎え、金はないが時間はたっぷりあるご隠居さんになった。40うん年前の新入社員当時は入社後全国の電話局に現場実習訓練として一年間配属されるのが通例であった。この時関西に配属された同期生の中のこの3人は、週末になると奈良や京都に出かけ、写真を撮り回ったものだった。初めてもらった給料から一眼レフカメラとレンズを買った。その仲間が40うん年ぶりに奈良に集合したというわけだ。当時NIKONの一眼レフを所有する仲間をうらやましそうに横目で見ながら、愛機ミノルタSRをぶら下げて徘徊した40数年前を懐かしく思い出す。気のおけない仲間と楽しい撮影旅行であった。

 考えてみると、あの時の関西配属が、私を写真好き、大和路好きにしたきっかけであった。私のその後のサラリーマン人生は、東京はもとよりロンドンやニューヨークを拠点に海外勤務が長くなった。ニューヨークから帰国して第一回目の定年を迎えたのち、大阪勤務となり、再び関西生活を送った。この時大和路の魅力を再発見することになった。長く海外生活を送ると、「海外かぶれ」「現地ボケ」「アメリカ出羽守」になると言われるが、実は帰国後、日本ってなんと美しく、魅力に溢れた国だろうと、これまであまり気がつかなかった母国の側面を再発見する。特に田舎の美しさに目を見張る。イギリスの田舎も美しかったし、豊かで今でも憧れるが、日本の田舎はそれに負けていない。そこに蓄積された長い歴史と人々が育んだ文化、ライフスタイル。稲作文明「豊葦原瑞穂の国」の象徴たる田園風景。それを彩る四季折々の花々... 今まで気づかなかった「美」。目から鱗が落ちた。こうしたことに気づくことができるのも、海外生活のおかげだ。

 というわけで出かけた奈良/大和路散策。しかし今年の関西は開花が遅れている。例年他の桜に先んじて咲き誇る氷室神社の枝垂桜もまったくの蕾。大野寺の滝桜も、長谷寺も枝垂れ桜は全く咲いてない。もちろん吉野桜もやまざくらもまだまだ。緋寒桜や河津桜がちらほら。というわけで桜のない大和路を散策することになった。しかし、負け惜しみじゃないけど、桜直前の早春の佇まいもまた捨てがたい。むしろ大和路の春めいた古都の「滅びの美」といった佇まいを楽しむには、観光客がドッと押しかけない今が絶妙のタイミングなのかもしれない。我々が敬愛する入江泰吉先生の写真にも桜満開の大和路よりも、梅や馬酔木、コブシや椿が楚々と路傍を彩る風景写真のほうが多い気がする。古代、万葉集や古今和歌集に歌われる花は梅であり桃であって桜ではなかった。いまや桜は日本人の象徴のように捉えられているが、それは比較的新しいことだ。桜が開花すると世の中全て桜一色になってしまう。他の春を彩る花々が霞んでしまう。花見だ、桜撮影だ、と桜前線に沿って慌ただしく桜ハンターが右往左往して落ち着かない。しかし、この桜狂想曲直前は、梅やサンシュユ、レンギョウ、花桃、菜の花、馬酔木、春を彩る花々が一斉に咲き誇っている。この春の足音こそ心に響く前奏曲だ。

 まず第一回は、定番コース:外人観光客でいっぱいの奈良公園/興福寺/東大寺/春日大社をめぐる散策。そして第二回は静かな長谷寺、室生寺、大神神社と回る。第三回として白毫寺、新薬師寺、高畑町界隈、そして我らが巨匠、入江泰吉写真美術館を巡る。




奈良県庁屋上から東大寺大仏殿、二月堂を望む

この洋館は奈良国立博物館

この時期の奈良と言えば馬酔木

氷室神社は未だ枝垂桜は蕾
ハクモクレンが主役


観光客で溢れる東大寺南大門あたり
近年外国人観光客が多くなった



南大門で見つけたリトル・プリンス










何をお祈りしたの?

柳が芽吹き、新緑が青空に映える

西方浄土へ誘う階段



二月堂から大仏殿越しに生駒山を望む



日が傾き始めた
夕陽刺す西方浄土の姿を見るような


春日大社参道にかかる夕陽


春日大社表参道の灯篭



鹿たち



奈良公園で見つけたリトル・プリンセス

桃と梅

飛火野

(撮影機材:SONYαRII + FE24-240 Zoom)