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2017年12月3日日曜日

小石川後楽園散策 〜都心の大名庭園に紅葉を愛でる〜





 今年は京都の紅葉の時期に、妙に忙しくて、ついに上洛が叶わなかった。永観堂だ、東福寺だ、真如堂だ、北野天満宮の御土居だ、いや嵯峨野の常寂光寺だと散々にFBで沸き立っているのを横目でチラ見するだけであった。その悔しさが募る一方、ふと都心でも紅葉の美しいところがあるはずだと気づいた。なにも「紅葉といえば京都」ばかりでもあるまい。負け惜しみじゃ無い。いや少しは負け惜しみだが、東京には江戸時代の大名屋敷/庭園の跡があちこちにあるではないか。しかも広大な敷地を有する邸宅とそれに付属する庭園だ。大名庭園はほぼ例外なく紅葉や桜の名所になっている。

 参勤交代の廃止、廃藩置県の後、こうした大名屋敷は明治新政府に接収され、あるものは政府官庁の用地に、あるものは軍用地に、あるものは大学に、あるいは皇族や華族の屋敷に。あるものは払い下げられてビジネス街や、維新の元勲や財閥の邸宅になっていった。江戸にはこうした明治新政府にとって帝都を形成するために必要な敷地がふんだんにあった。京都ではこうはいかない。こう言う観点からも東京奠都は日本の近代化にとっても合理的な判断だったといえよう。さらに戦後になって、財閥解体、華族制度廃止が進むとこうした広大な敷地を有する邸宅/庭園は、市民に開放され公園となっていった。こうして大都会東京は想像以上に緑地面積が広く、市民の憩いの場となる公園や庭園が数多く有する都市となる。

 ここ後楽園はその代表格。今更説明するまでも無いであろうが、元は御三家の水戸徳川家江戸屋敷。その庭園が後楽園である。明治以降、その広大な敷地は陸軍の用地となり。戦後は民間に払い下げられ後楽園遊園地と後楽園球場となった。都民には遊園地や巨人軍の本拠地、いまの東京ドームの方が馴染みなのだろうが、どっこい水戸徳川家の大名庭園は今も生きていて都立「小石川後楽園」として人々に開放されている。東京ドームの白い屋根を借景にした庭園風景は東京名所になっている。

 ここの紅葉がまことに美しい。紅葉といえば六義園が有名であるが、後楽園のそれも素晴らしい。春にこの近くのホテルで会合があり、その帰りに立ち寄った時は桜が満開であった。とりわけしだれ桜が見事であった。その時、園内に紅葉の木が多かったことに気づいてのでさぞや秋の紅葉シーズンには、と想像していた。この日は快晴。平日の朝から入場に長蛇の列。並んでいるのはシニア割引対象の人々ばかり。団塊世代の定年退職により、平日からこういうところが混雑するのだ。定年後は、ようやく休日の混雑を避けて、平日にゆっくり名所旧蹟散策を楽しめるようになるんだ、という夢ははかない幻想であることを思い知らされることになる。全く何歳になっても団塊世代は競争が厳しい。それでも並んでも入る甲斐がある美しさであった。人の賑わいも江戸情緒のうち。東京も捨てたものではない。まあ、とにかく写真をご覧あれ。





























(撮影機材:Nikon D850 + AF Nikkor 24-70/2.8, AF Nikkor 80-400/3.5~5.6)